東京女子体育大学体育学部体育学科を出たのはこのころから10年してから
である。父は病気がちで弟妹3人のことを考えると家から通え授業料もやすい
大学を選んだ。
本当にこの学校が良かったのか迷いながらの時代だった。このころそんな人も
多く各地の進学高から来ていた。
その中の一人Sさんが認知症になり一緒に来てと言われて山梨の友と千葉市
の奥にある一時あずかりの病院に最近行ったことがある。
母に迷惑かけられないから浪人しなかった。彼女の記憶は高校時代のことばかりだった。教育大学太鼓判だったのに落ちたそうだ。母が働いて大学にいけと
励ましてくれていたという。
帰りにはなんだが涙が止まらなかった。学生時代は一度もそんな話をしたことがなかった。私もしなかった。
太極拳や気功をしている今は本当にあの学校でよかったと思っている。
今年の賀状は頂いた人にだけだした。小 中 高を含めて一番多かったあの大学の特に短大時代の同級生。
2年のとき雑誌をつくってきたけど部活にしたいから引き継いてといわれ引き継いた 『かぶす』という雑誌だった。学長先生 ダンスの先輩からも寄稿して
いただいた。
捨てようとしてすてられなかった。
年賀状の歌 NAOKO MOHYO
NAOKO
小さき文字眼鏡を上げて眼を細め読むこと多し七十のわれ
返歌 MOHYO
はるばると幾山河越え来しわれら共にうたわな生きる喜び
鴉二羽 NAOKO
近寄れば黒く艶ある鴉二羽ゴミステーションの袋を破る
共存の親近感まで湧きそうな生きる眼差し鴉翔び立つ
日本歌人クラブ編2017年現代万葉集 からっ風
・雨あがる手児奈霊神堂昏れゆきて人けなき苑枝垂れ桜花(ばな)咲く
・お不動の丘しづもりて雨季に入る紫陽花の藍日々に色濃し
・広辞苑繙く指先ゆっくりと狭庭の木蓮白く咲(ひら)けり
日本歌人クラブ編2016年現代万葉集 mohyo
・若き父「出征は明日」と母の手を初めて取りぬ椰子の木の下
・死にし赤子(こ)の水葬ありて鳴る汽笛こぞりて泣きぬ引揚げ船に
・算盤を習ふと希ふに「軍人の娘ぞ計算せずに生きよ」と
短歌研究年刊歌集2017年 mohyo
・バス揺れて白山連峰遠く見ゆ風の盆踊りさあ今夜から
・片足立ち斜めに両手広げたる男踊りの静かで強し
・風の盆見あぐる夜空昔より変わらぬ星々帰路のバス待つ
戦後生まれ70年 NAOKO
・戦後生まれ70の我新しき戦前に立つ平和とは何
・億単位兆単位ともなるトランプ氏の武器の輸出の手腕を思う
冬木立 JUN
・吾が名呼ばれ年越し太鼓打ちにけり
・空の青際立たせてや冬木立
・湯豆腐や天下国家はさておきて
・本心もふんわり覆う襟巻や
・さよならは言わずにマフラー遠ざかり
湯豆腐 JUN
切干しの天日降り積む匂ひかな
山茶花の風に抗ふ白さかな
湯豆腐や天下国家はさておきて
磨かれし言葉は力文化の日
二人分野菜を得んと冬耕す
秋の声 JUN
十三夜宿より望む相模灘
源流となる水雫秋の声
秋うらら老いても学ぶ仲間どち
朝まだきまだ消え入らぬ虫の声
秋深し印それぞれ九品仏