「もういちど もういちど」   佐野豊子

八重岳の蝶にあいたし千葉(せんよう)の言葉つやめくおきなわの雨季

雨粒に取り出すバッグの底の底 沈没船のような古傘

深海に暮らすはずの〈釣り目鯛〉われに食われて媼になるかも

もういちど もういちど」と真夜に聞く昭和歌謡に人の恋しさ

キリストの脇腹を突く槍の先したたりやまずたとえば辺野古

石榴口(ざくろぐち) NAOKO

石榴口江戸の銭湯入り口が狭くて屈みするりと入れり

湯の温度下がるを防ぎ湯の前に石榴口を設けしという

湯舟から石榴口抜け流し場へ移りし客ら何かおもしろ

江戸と京いずれも華麗な形生み明治の初期まで存続せしと

石榴の実絞りて取りしその汁で流し場のかがみを磨きていたり

思い出  NAOKO

少女期のバレエ教室バーに並び胸張りて立つ指示を受けつつ

高安寺のバレエ教室タンバリンパーンと響きて少女ら飛びぬ

家なかに長時間座る長椅子が罅われて来ぬわがししむらも

甘味噌をご飯に混ぜて与えくれし祖母のナーコと我を呼ぶ声

五月雨の家籠もりなり草むらにけぶるがに咲く矢車菊は

春の水  JUN

ぐーぱーのパット開きし黄水洗

子供らの影を浮かべて春の水

啓蟄や菜を採り終へし土の畑

妻の愚痴遠くに聴くや花ミモザ

春霞だれも分からぬ明日かな

昭和の匂い  佐野豊子

だみ声のカラスが鳴いて目が醒めるふたつ命のふれあう一瞬

敗れたり天覧相撲に攻めきれず貴景勝は土俵に腹這う

素枯れ菊ぽきぽき折って焚き火した昭和の匂いは何故か哀しい

子犬の売人  NAOKO

十五万二十七万その値札置かれし後ろに子犬ら眠る

ゆくりなく子犬は屈みいと細き便を落とせり硝子のむこう

区切られし硝子の空間売られいる子犬の床を拭きいる店員

子供には抱っこさせない大人には抱かせるという子犬の売人

相棒の茶色の毛並みその背なに顔寄せ眠る黒毛の子犬