2006年を向えて

あっという間に今日はもう3日である。今年は短歌をたくさん作ることに重点をしぼろうと思う。

上司だったS先生はHPからブログに挑戦さらにネット株にも挑戦されるという。目標を読むと年3回は海外旅行。国内旅行にもよく行かれる。月一度旅行された写真が整理されたHPのご案内が来る。

このことに大いに刺激され着実に私も挑戦しようと思っている。旅行はそんなに出来ないから自分の目標に挑戦したい。

また同僚だった人はソフトの種類を集めて日本語訳になるまでを研究したりかなりITの研究が進んでいる。それをブログという形で記録に残している。私には意味がわからないが地道でハイレベルなことだけは良くわかる。

暮らしの研究室というブログでは彼女の視点の幅広さと一途なところが好きだ。私と似ていて違うことを違うといってしまうところである。だから好きな人でもある。今年は昨年よりも真剣に書き込みたいと思っている。

椿わびすけの家というHPにはほぼ毎日うかがっている。裏千家の教授で漱石の研究家でもある。最近はジャーナリストとしても活躍されていて記事は歯切れがよく京都のことはもとより幅広い知識が得られる。

MUKUGEさんは大分の方であるが短歌に対する姿勢自分に対する姿勢が純粋で頭が下がる。

今年は着物を着てお点前が出来るようにすることも目標である。着付け教室で市内の方々と知り合いになれることもうれしいことである。

8日の初釜をまず成功させ月末の短歌の締切りにはいい歌をつくりたい。そして母のところにも出来る限りかよい母の老後が豊かなものになるようにしたい。

岐阜の正さんは失礼なことでもなんでも思ったことを何でも話せるそしてはっきりした意見が返ってくる。

ドイツ在住のジャーナリストTさんは若いがとても教えられる方である。子育てにも積極的に参加されていてヨーロッパやドイツのよさが良くわかる。わたしはメルマガの記事から教えられることが多い。

今年もITから多くの学びがあると思うが自分のブログを充実させたいと思う。このブログでお世話になった渡邊社長さんがお忙しい中かなりの時間をかけてご協力いただいた。高山さんにも感謝したい。

綾子

人は人に期待したい。

若い頃、何をやるにもこれからの人ということで期待されていた記憶がある。しかし今は違う。

「もう遅い。そんなこともしらないのですか。」要するに年寄りなどを教えても期待できない。

「若い人を育てる」いい言葉だと思う。あるセミナーでは「元気な人 うまくいっている人の傍にいると自分の運も良くなる」というものがあった。私は怖いと思った。本当に相談したいことはできないのか。

あの人とは親しくしていきたいからあまり暗いことを言いたくなかったといった若者のことばを思い出した。

「あの人は結婚しないでここまで来て立派だけど私は子どもも欲しいからあまり深い付き合いも考え物かな。」

私は人は人に期待するのがよいと思う。期待されたら多少のことがあってもうれしいものだ。

若いことがよい。これはスピード感も含まれるだろうな。実際エレベーターが遅いだけでいらいらしてくる。私も随分犯されている。

昨今起こる奇妙な事件の遠因ではないか。自分の命・権利は両親またその両親が健康で大人になったお蔭で生まれてきたものである。その命を考えないで自分の短い命をどう愉しむかだけではだめだ。

さびしい過ぎる。

綾子

呉服売り場

茶道をするうちに着物を着たくなった。公営施設で一回千円で午前中3時間くらい教室が開かれているので参加している。名古屋帯を持っていないので安いのを買うことになり着付け教室の先生と浜町にある問屋さんにいった。高くない帯を購入した。明日から名古屋帯を結ぶ練習にはいる。

買い物に行って帰る時先生が「決断力があるかたですね。なかなか決心がつかない人がいます。」とおっしゃった。

私は①今ある着物数枚に合うもの②お茶席でも使えるもの③目利きが出来な
いので高いものに手を出さない。

基準が決まっていることと自分がぱっとみて違うものは良くても買わないからだと思う。

考えたら外出する時のコートがなかった。小田急と京王デパートを回った。三越本店の方が良かった気がしたが高くてかえない。小田急のは安いがすぐいやになりそうなものだった。

京王デパートで古着屋さんが呉服売り場の奥にあった。道行などを全部着せていただいたがぴったりなものがない。私に合うのはその店で新調したもので5万円だった。着させて頂いて私はあまり好きでなかった。

私はそこで着物と帯を借りてその上から道行を羽織ってみた。少し袖丈をのばせば何とか着られそうだ。お直し5000円 道行代5000円で買うことにした。

少し寒いのは襟巻きをすることにした。何も分からない時に買って後悔しないものを買い着慣れることにした。帯が安いのは駄目よという人もいたが茶道教室で練習するときは洗える着物を使う予定なのでそれなりでいいかなと思う。

こうしているとまた働きたくなった。今度は着物を買うために働きたいと思う。

綾子

愛美子おばさんの死 ②

妹から「愛美子おばさんがなくなってね。今日お通夜で明日がお葬式らしい。」の電話。びっくりというより申し訳ない気持ちで一杯になった。小さい頃お正月になるとおばさんの家にいくのが楽しみだった。

おばさんは越路吹雪ににたおしゃれな人だった。今は上野毛の立派なうちであるが幼い頃は電車が通ると良く聞こえるガードの近くの家で3つくらいしか部屋がなかった。一つは玄関のような3畳8畳4.5畳しかない狭い家だった。

おばさんはおしゃれなだけでなくお料理も上手であった。カレーに豆が入っていたり物がない中でも豊かな気持ちになれた。

そんな狭い家におじいさんおばあさんも同居、子ども3人そこに私達4人兄弟と両親が遊びに行ったのである。

おばさんは何もいやなことを言わずやさしかった。

15年前伯父さんと一緒に洗礼をうけていた。伯父さんは母の兄である。その親達は香港台湾で仕事をし既にクリスチャンであった。伯父さんは歯が痛いとペンチで抜くようなひとであった。

葬式はキリスト教式で行われた。牧師が私の従兄弟すなわち伯母さんの長男が最近クリスチャンになったとお話になった。

クリスチャン3代目である。従兄弟は責任感の強い働き者だ。

綾子

愛美子おばさんの死  ①

母はずっと清瀬の病院に入院中である。しっかりしている日とそうでもない日がある。昼夜起きていろいろな話をしハイな状態が続きウトウトしている日が2日くらいあったりすることがる。

一日の過ぎ行く時間がゆったりとしていて1日が24時間の私とは違い1日48時間だ。伯母さんの死を伝えるかどうか考えたが母のお金もお花代として包もうということになりはっきり言うことになった。

母は伯父さんを慰めるからオーバーを出せとさわいだらしい。「伯父さんは15年前になくなったよ。」 「ウソ昨日もここに来て話したじゃない。」

母を説得したつもりであったが夜中に大きな声で賛美歌を歌ったりお祈りをしていたらしい。病気だからあるいは老人だから仕方がないと思っていたが実際に母にあって話してみると母の世界ではおじいさんもおばあさんも生きている。私のことを母親だと思っているらしい。

それが15年前に終わっているとかもう誰も彼も亡くなっていると言われたらどんな気持ちだろうかと思った。

童話「浦島太郎」のはなしが現実味を帯びて私の心にのしかかってきた。

伯母さんの死など知らせなくて良かったのだろうか。わたしならどうだろう。弟妹がいつの間にか死んでいる世界に連れて行かれたらどんなに慌てることだろう。

母は時々この地球上にある他の世界と行ったり来たりしている。

綾子

望郷の歌

天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも  安部仲麻呂

何度も読んでいるが望郷の歌であると最近テレビで知った。そう思い読んでみるとなかなかよい歌に思える。歌の背景を知り歌を読むと違ってくることが分かる。

最近 名もない遣唐使の碑が見つかって話題になった。帰国がきまりさあ日本にというときに亡くなった。吉備真備は帰国して高官にのぼりつめた。それを聞いた玄宗皇帝が官位をあげてその死を悼んだそうである。

これを聞いて私はいろいろなことに思いをめぐらせた。玄宗皇帝に好かれるよい男であった。玄宗皇帝に関わる女性に好かれて別れがたく・・・・・・・・。吉備真備にとっては邪魔な男ではなかったのではないか。

いずれにしても優れた若者だったに違いない。19歳で日本を出て36歳での死36歳で死んだりしたのだろうか。今の日本ではここまでになると癌とか事故以外死んだりしないと思っていた。

吉備真備と並んでは安部仲麻呂もゆうめいである。上記の歌が遣唐使として望郷の思いを歌ったものだということを最近のテレビでしった。彼は帰国船に乗ったが難破して帰国をあきらめたのが50代半ばであった。しかしどうしても望郷の念に駆られて書いたのが上記の歌であった。どのような経緯で百人一首に入っているのだろうか。

彼は70歳で長安でなくなっている。今は北京から成田まで飛行機ですぐである。北京から大同に帰る人は汽車でかえり私が飛行機であれば私の方が早く家に着く。多くの人の勇気や冒険の結果が今日の文化を築いているのだと思う。

綾子

3

寂聴さんの半生で8年間も不倫関係にあった男性は五味康祐だと書いたがその後間違いであることが判明しました。その人の名は小田仁二郎です。訂正と共にお詫びします。

ふくろうさんにお聞きしました。

http://6323.teacup.com/dobardan/bbs

mohyoさん!
先ほど申し忘れておりましたが、山形出身の小田仁二郎氏の瀬戸内晴美氏との接点は、確かでした。なまずさんの掲示板で、確証を得ましたので、安心致しました。どうぞ、詳しくは、こちらにお訪ねくださいませ。
http://www.zusi.net(なまずさんの掲示板です)

ふくろうさん> 寂聴さんのかっての愛人は、おっしゃるように戦後派文学の作家小田仁二郎でした。小田と別れた後に瀬戸内さんが書いた「夏の終わり」「みれん」にその生活が写されているようです。正直なところ瀬戸内さんは苦手な作家のひとりです。あまり読んでいませんが、田村俊子の評伝風の物語はいいほんでした。
とはいえ 8日に「みなとみらい」で、寂聴作の「源氏物語」の朗読を聞くことになっているんです。

綾子

着物

今日は本や洋服を預けてある倉庫に寄ったどんな着物が置いてあるかを確認する。案外利用できるものがあると思った。娘のものもお茶の時に着ていけそうだ。働いているうちにどうしてもっとしっかり着物に執着しなかったのだろうか。

今になって考えても仕方がない。考え方がなっていなかったから仕方がない。本当に和ものを何か一つ極めたいと思ってもその精神がかけていたと思う。それが子供たちに力を付けられなかった遠因だと思う。

この間着付け教室に初めて行った。高いからとなるべく安い教室を探した。JR東海の年寄り向けの行事にはよく参加するがこのときの着付け教室は定員が揃わずに中止となった。市川の市民会館での教室も曜日がお茶の日と重なってだめだった。

消防署の7階にある男女共同参画センターで行われている宣伝を市の広報で知り参加した。入会金1000円 一回ごとに1000円払う。

私は1年か2年通うつもりだ。着物のことをもっと知りたいからだ。

着物をきちんと着ている人は案外少ない。着物の人が歩いているとつい見てしまう。

美しく着物を着ていた人それは例えば杉村春子さん 椿わびすけ様着付けの先生もきちんとされている。それからお茶の先生もおしゃれな方である。少しでも近づきたい。

綾子

寂聴さんの半生

寂聴さんの半生というテレビドラマを宮沢りえが演じていた。
宮沢りえは若いのか年寄りなのか分からない感じがする女優で将来尼さんになるのかなとドラマを見ながら思った。いい映画でよい味を出していてもはやアイドルりえちゃんではない。

寂というのはさびしいという意味ではなくきちんと整えられた静けさではないか。

和敬清寂という言葉がある。静寂ではない。清寂である。これは茶会が始まるまえの準備万端整えられてさあ始めましょうという静けさのことを言うのだそうだ。

寂聴さんの半生は奔放だった若き日から今東光和尚から得度を受けるまでの出来事であった。

思うに命があふれ出て止まらない女性なのだと思う。思っても動けない人、動かない人がいるがこの人は自分でも自分を止められないエネルギーがあふれ出てくるに違いない。

女優で言えば藤田弓子さんのような体形の人かもしれない。彼女はテレビであっという間にスプーン曲げてみせる。今はある男性と結婚しているが寂聴さんと同じような情熱があるようだ。

今東光氏も僧侶というより政治家 作家という一筋縄で行かないピュアな感じのしない人であった。五味康祐は髭もじゃの着物姿の大衆作家であった。ドラマによると純文学を目指した真面目な作家で寂聴を育てたひとでもある。

週の半分を家にいて後を寂聴の家にいた。頂いた稿料もきっちり半分ずつ奥さんと寂聴に分け与えていた。

五味康祐は舌癌でなくなる。康祐と別れたあとにきた男も事業に職場に平凡な女性がいると分かれていった。しかし事業に失敗首吊り自殺をした。

寂聴は出家することは生きながら死ぬことであるとしている。
そのあたりが私には分からない。今元気に活躍しているのは骨太の寂聴さんである。

綾子

人を傷つけてしまう。

30代も半ばを過ぎた二人の娘が気がかりで時には憂鬱になる。
娘に言わなくてもよい事を言ってしまう。最近したの娘が言い返すことがある。上の娘は当たり前であったが下の娘は黙っているのであった。これはよいことだと思っている。


日弱音を吐いた私に30代のドイツにいる日本人のフリージャーナリストからメールをいただいた。彼はドイツ人と結婚しドイツでの生活をメルマガで出してい
る。「吾が輩は主夫である」の編集者でもある。名前も高松平蔵という名前からずっと年寄りだと感じっていたが内容が若いのでびっくりしていた。

3人のお子さんの保育園などへの送迎ごはん作りもこなされている。


100歳近い前衛舞踊のアーティストに大野一雄さんという方がいらっしゃいます。この方と10年ぐらい前にお話したときに、「生活を大切にしなさい」といったようなことをおっしゃってました。
私は座右の銘とか、座右の書といったものは特にないのですが、この言葉がなんとなく気になっていて、自分の現在のライフスタイルや仕事のスタイルに少なからず影響しています。

私なりの咀嚼をすれば、生活とは「生を活かすこと」といったところでしょうか。やや抹香臭い言い方ですが。。。(^-^;)
しかし、そういう観点から見れば、目の前のことにとらわれず物事を見えるような気がします。

結婚生活は2人の生を活かすことであるでしょうし、生を活かすための環境は国の政治で決まってきます。

ドイツは8000万人の人口ですが、これでも欧州で一番人口の多い国です。欧州の小さな国というのは、小さいがゆえに生活圏と国家という枠組みがあまり離れてなくて、生を活かすという意味の「生活」と政治があまり乖離しないのかもしれません。

ちなみに私の妻は6歳年上。別に金のわらじがあったわけではありませんが、平均寿命から考えると、同時期にぽっくりいけるかな、と話していることがあります。もっとも、平均寿命を見て自分たちの寿命を想定するあたりは現代人のずうずうしさでありますが。。。(^-^;)
あとは子供が自分の生を活かせるように下地づくりをしてやる。これが親の役目かなと思います。

まあ、自分以外の生と真正面から向き合うという点では結婚や子供を育てるということで、なにかと大変であったり、学び取ったりということがあるということはいえそうですね。

師走を目前に、ドイツはクリスマスシーズンにもうすぐ突入です。
とりとめのないことを書きました。
時節がら、どうぞ風邪など召されませんよう、ご自愛ください。

高松 平藏 拝

綾子