長女の誕生日

 

 

朝から雪が降り大手町では6センチも積もったという。電車が止まったり
けが人が出ないか心配であるが雪景色は久しぶりで新しく購入したデジ
カメで写真を撮った。

長女は髪jを短くしてパーマをかけるといい友人の店(下北沢)にでかけた。
次女はチェロの練習で恵比寿までいった。夫とふたりでそれぞれのことを
しているとJUNさんからメールが来た。

姪が二人目の女の子を出産したというメールがきた。弟の喜びが目に浮かぶ。
いろいろ苦労してきた弟が喜ぶのは何をさておいても嬉しいと思う。

子どもは何時になっても心配事がつきものであるが人間がそばにいて会話
することは幸せなことだと思う。

姪の幸せもこの上ないと思う。「早く結婚しなさい。」とお節介をいったころもあった。
今は立派な母親の顔をしてやさしい夫と長女の写真が賀状で送られてきた。

雪が降っているけれど駅まで買いだしに行って長女の誕生祝をしようと思う。
暖かいものがよいというので”おでん”にすることにした。

綾子

 

大寒…

 

 

寒い日が続いている。生暖かいより風邪は引かないかもしれない。
大寒が過ぎると立春で卒業生をだし新しい学年を迎えるという生活
から遠ざかってもう3年になろうとしている。

今頃は持久走の頃で陽だまりにはよもぎが芽をだしたりしていた。
富浦の水仙館山の金盞花など房総半島は2月花盛りになる。

新潟の人たちには申し訳ないと思う。毎日雪かきで本当に辛いだろうと
思う。何かいい方法がないだろうか。これから年寄りが増えるわけだから
屋根に雪が積もらず歩道にも積もらない処置がないだろうか。そのため
なら税金を払ってもよいと思う。

昨日裏千家の和の学校から新聞がきた。美しい写真があった。
大寒は水がよいときでもあるのでお酒 お餅 和紙作りには最適だそうである。

http://www.wanogakkou.com/0news/news_kisetu.html

待てば海路の日和あり

昔聞いた言葉であるが本当にそうであればよいと祈る思いである。

綾子

 

誕生日の出来事…

 

一月十七日は私の誕生日だった。

神戸被災慰霊の日 ヒュウザー小島社長喚問 一億円闇献金事件で野中、橋本、青木氏ではなく村内氏一人が責任を問われた。宮崎被告死刑確定。

ホリエモンの会社が家宅捜査された。ホリエモン ヒュウザー関連で自殺者がでた。本当に自殺だろうかという思いがする。背筋が寒くなる。

人によると上海領事館の自殺 イランと北朝鮮の核問題で米中が画策している。それらを隠すためだという方もあった。国内でさわぎ国外をそらす。今回の北朝鮮のドンの訪中は核も関連しているそうだ。そんな莫大なことをいわれてもびっくりするがポスト小泉の争い自民党内の確執があることはまちがいない。

なんだかさえない誕生日になった。おまけにいろいろ相談してあんなにがんばって楽しみにしていた茶道教室も一時停止にして母の介助に力を注ぐことにした。

かつての同僚はやはりいいものだ。みんな私を力づけてくれる。

綾子

文字は大きくならなかった 2

私が時々ベーコンを買ったことがあるお店のオーナー様は勉強家である。▼こんなふうに書いてありますの
http://ameblo.jp/warau-buta/entry-10007965313.html

インターネットラジオというのがあるらしい。

暮には各メディアで今年の10代ニュースというのがある。これをじっくり比較検討したわけではないけれど視聴者が選ぶ読者が選ぶという文言も恣意的に選んだり選ばなかったりするメディアによってどうにでもなる気がしてきた。

多くの発信方法が出てきてどれを選んでよいかわからない状態ではあるがこんな時こそ口コミが一番信用が出来る。そこでまたサイト運営者同様賛成するものだけが来ればよいという姿勢がはじまるのだろうな。

よい事はメディアの操作などは難しくなると予想できることかな。

わが夫は記録魔のように記録する。彼は後の人が知りたいと思うときに出来るだけ忠実なものを残しておくことが大切だという。残す資料の幅広さは仕事に関することが主なので新聞のように広くない。しかし記録をどう残すのかは大切なことだと最近思う。

綾子

文字をおおきくしてみました。 その1

時々訪問してくださる方から文字が小さくて読みにくいとご指摘いただきました。ありがたいと思いました。弟妹達との記録くらいで多くの人の訪問を期待していない私にとって励まされました。

彼女は昨年掲示板に疑問を持って閉鎖された。もう一人の知人もblogにコメントを書くのもどうかねえと感じたそうである。初めから口下手だし時間の無駄だという人もある。顔も知らない人と話して面白いのという人もいる。顔も素性もわからないからいいということはないだろうか。またこれはインターネットから始まったというのは違うのではないか。

私が妙に気に入っている歌がある。
”月が侘しい路地裏で屋台の酒のほろ苦さ知らぬ同士が小皿叩いてちゃんちきおけさ”
男達はこういうことをしていて最近女性伯父さんも出てきたのではないか。それがネットになっただけである。

BBSはたしかにサイトオーナーがある意味教祖さまで嫌なら自分でサイトをつくりなさいここはイエスマンだけで良いのです出てお行きという世界です。

最近注目しているのはこの方である。椿わびすけ様
http://www.janjan.jp/business/0601/0512297102/1.php?page=2&action=table#bbs

この記事はホリエモンについてかかれたものである。私はホリエモンは合法的かどうかだけの判断で○か×をつけるその法律が出来た基の精神まではさかのぼらない。ある意味仕事の分担の仕方そのままである。わたしが危惧するのは例えば広域〜団のフロント組織は合法的なものである。ホリエモンの基準によると○である。提携はありだ。しかし合法的に裏社会にお金が流れないかどうかは自分の責任ではないと考えるか考えないかがわからない不安がるのである。しかしホリエモン嫌いでなにも考えないのはよくない。私もホリエモンに期待している。

そして記事に対するコメントを書く蘭には反対意見もかけること60歳を過ぎて挑戦されている。HPでも茶道 漱石にも造詣が深く大勢のファンが集まっている。それだけではなく広い社会に発信しておられるのである。

綾子

茶道入門の心得

 

 

前に読んだことがあるが最近また読まないといけないと思う状態になった。

茶は渇を医するに止まる

私はまさにこれを望んでいた。これをわすれそうになることが次々におこり混乱していた。水分も取るほうであるが精神的な渇望の方が大きかった。

茶の湯とは、ただ湯をわかし、茶を点てて、のむばかりなることと知るべし

茶道は私たちのからだに、何に対しても動じないほどの力強さを与えてくれる。いかなる事態がが起きたとしても、それにすぐ対処できる、反応できる能力を与えられる。これが茶道によって鍛え上げられた心の働き、知恵というものである。茶道を学ぶに当っては禅宗の精神をしっかり頭の中に入れておくことが大切である。

禅宗のこころ

虎視眈々としながら悠々中道をいき、その一歩一歩に精神の吟味をとげていく、一点の非も見逃さぬような鋭さをもちながら、悠々迷わず一直線に進み、その一歩一歩の歩みの中に自己の心の中を深く見つめ、磨いていく。しかも注意力を養い、あきず、あきらめない根本精神である。

茶道はいかなる場合も一貫して礼儀を基礎としている。

人が集まっている組織である以上案外難しいものである。生徒の悪い点を教えるという形を踏んで他の生徒に話されると生徒は悪口ばかり言いながら表面的には美しい言葉をならべてこんなバカな世界に入られないと思わせてしまう。

綾子

 

和敬清寂

 

 

和敬清寂

お互い同志が仲良くする

お互い同志が敬い合う

目に見えるだけの清らかさではなく心の中が清らかである
自分の力で自分の気持ちを清めようとする心が大切。

どんな時にも動じない心である。
あらかじめ予習をしておく、つまり心を作っておく。

綾子

 

利休7則

 

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利休7則

茶は服のよきように点て、炭は湯の沸くように置き、花は野にあるように、さて夏は涼しく冬は暖かに、刻限は早めに、降らずとも傘の用意、相客に心せよ

茶は服のように点て

舌で感じる味覚の満足だけではなく亭主と客の心が本当に通じ合えることがたいせつである。

炭は湯の湧くように置き

単なる炭に関する知識とか炭点前の技術の優劣を言うのではなくて、客に対する真心がこもっているかいないかである。全身全霊お茶に打ち込むことが大切。

花は野にあるように

利休は自然に生える花こそ美しい、尊いのだといっている。自然の持つ個性の美しさ、その生命の尊さをわずか一輪の花においてそれを表現するところに茶の花としての本当の意味があるといっている。

夏は涼しく冬は暖かに

自然と対抗しそれを克服しようということではなく自然と一体となって生きていく態度 盛夏の「朝茶事」は夏の生活を楽しむ 夏の朝の涼しさを味わうといった積極的な夏のすごし方。

刻限は早めに

時間を大切にする。予期せぬことも起きるので何ごとも早めにし約束の時間は必ず守る。

降らずとも傘の用意

露地傘、露地下駄をいつもそろえておくなど心くばりを忘れない。臨機応変の処置ができるだけの心構えと準備をおこたってはならない。

相客にこころせよ

自分勝手、得手勝手ではなくお互いに尊重しあい共に楽しいお茶事を過ごす。

利休七則とは背景に和敬清寂の思想がある。これは茶道の最高の思想でもある。これは茶道の実践をすることにより習得されるものである。

綾子

 

がんばれ社長!に掲載されました。

「がんばれ社長!」というマガジンを読んでいる。最近感想を送ったら拙意見が取り上げられた。嬉しかったのでここに載せます。

『ウィークリー雑感』

■読者から届いたメール

1.千葉県 Hさん(女性)

あけましておめでとうございます。本年もメルマガを楽しみにしております。
さて昨日号の『儒商』を拝見し、思うところあってメールします。
最近、西洋式 “合理的な考え”というものの使い方が違っているのではないかと思うことがあります。たとえば学校です。
制服検査について先生方の中に、「リボンをつけているかいないかは、わかりやすいが、スカートの長さについては、膝上の骨が長い子と膝下の骨が長い子では違うのではないか」などとくだらなすぎる議論があって、制服指導はあまり歓迎されなくなりました。本末転倒です。

果たして、何でもかんでもルールを決めて○か×だけで採点するのが正しいのでしょうか?そうしたルールや評価も大切ですが、全体的に正しいとか、何か変だとか感じ取れる心が大人には特に必要ではないかと思います。目に見えないものを信じるという意味において、神仏を信じる力とそれによって培われる勇気も大切かな、とも。

<武沢より>
Hさんがおっしゃる通り、何でもルールを決めて○か×かで評価するのにも限界があるし、時には弊害だってあると思う昨今です。なぜなら○をもらうことが目的になってしまって、基準が設けられた精神まで知ろうとしなくなってしまうからです。
Hさん、ありがとうございました。

今年は何か前進できそうにな気がしている。

綾子

 

 

初釜でした。

初釜から着物を着て練習に通うと決心して着る練習をした。しかし胸元 裾帯の形 などこまごましたところを見たら満点ではない。

昨夜もその前も練習したが何かが不足であった。初釜で皆さん忙しいのでよれよれではなくきちんとできる人に依頼した方がよいと娘達は言った。わたしはがんばって着物を着てそれでも心配なので見ていただいた。結果はその方が良かった。

胸元の皺は軽く綿をいれてなくした。足の親指と次ぎの足にバンドエイドを巻いて足の痛くなるのを防いだ。着終わってから大股開きで膝を曲げて着物であるきやすくした。着物がずれてきた時も恐れず大胆に引っ張って直すことも覚えた。

終わってから着物をお湯でタオルを洗い固く絞ってポンポン叩きつるす。長じゅばんのえりをとって下着類も一緒に洗濯した。次回は同じ着物では行きたくない。娘の着物をだしてみたら保管が悪く皺だらけである。アイロンをかけてもらってそれを着ていこうと思う。

肝心の初釜は精神的にあまり面白くなかった。しかしお客様の中によい方があり慰められた。来年またお目にかかりましょうといわれた。

星占いを見たら今日はよい日ではなかった。そんな気もしていた。

今日、苦労したことは、あとで必ず良い結果となって戻ってきます。きっと頑張り抜くことができれ
ば、心のもやも晴れ、あなたによい結果が生まれてくることでしょう。がんばりましょう。誰にでもいえそうな言葉であるが『よい結果が生まれてくることでしょう。』を信じることにした。

綾子