ジョギングの汗おとしつつ加齢臭石鹸(シャボン)の泡立て拭いていたり
短歌研究8月号 高野公彦選 mohyo
係留のイージス艦2隻左が「あたご」うす暗がりの舞鶴港に
注意事項を記録に残す 松岡尚子
触診で脈を取りつつ不整脈があるかどうかを確かめてゐつ
入居者の数の少なきホームにて医療行為もある程度はする
毎週を訪れて来る看護師の注意事項を記録に残す
短歌研究7月号 高野公彦選 mohyo
月光菩薩背の生ま生まと映されてふり向かるるごと静かに呼べば
マイセンの皿にも寺の装飾にもぶどうの木ありぶどうパンうまし
三月十日の隅田川 mohyo
三月十日死体ただよひし隅田川とうつつに思へず電車ゆ見つむ
三月十日 → 三月九日深夜から東京空襲があり大勢の人が亡くなった。大火事のときには川をめざさない。
炎がとおりやすい。プールは熱湯になった。風上に逃げる。
香りよき珈琲 松岡尚子
料理番組テレビに見れば様々の悩みを忘れ急ぎメモ取る
ちょっと強い風が吹くたび止まったり遅れてしまふわが内房線
香り良き珈琲飲まん十首目の歌を作りて清書せし後
走り抜けたし 松岡尚子
苦手なる「拘束」の言葉しかれども一日八時間働くわれは
例ふれば自在に走る山猫のまなこを持ちて走り抜けたし
ひいやりと肌寒き空明け方を夢夢夢と雪が降り継ぐ
単純なわれかと思ふ要するにたったひとりの夜の寂しさ
短歌研究5月号 馬場あき子選 mohyo
・フクロウの声にすばやくうずくまるエゾモモンガに孫身じろがず
・アツカムイの森に生命を産みたるよモモンガにポチッとちぶさの見えて
入歯が床にころがってゐる 松岡尚子
フロアにて傾眠をするSさんの入歯が床にころがってゐる
永年を生きて来られし人達の熟せし言葉を聞き止むるなり
性格は様々あれど入浴は皆安らかに和む顔する
前 登志夫さん死去 産経抄より
〈父植ゑしこの杉山の五十年、二束三文となりても美(うるは)し〉
5日、奈良県吉野郡の自宅で、82歳の生涯を終えた前 登志夫(まえと
しお)さんの第八歌集、『鳥総立(とぶさだて)』のなかの一首だ。
鳥総立とは、万葉集にもある言葉で、伐採した木の切り株にその木の
梢や枝をたてて、山の神に樹木の再生を祈ることをいう。吉野の山中で
代々林業を営んできた前家の25代当主は、自らを「木こり」の歌人と呼
んだ。
20代は放浪の旅を続けながら、試作にふけっていた。昭和33年に短
歌を試作して『異常噴火』を体験する。まもなく故郷の吉野に腰を落ち着
け、山の精霊やすだま(漢字変換できませんでした)の声に耳をすまし、
歌の調べが聞こえてくるのを待つ生活が始まった。
〈夕闇にまぎれて村に近づけば盗賊のごとくわれは華やぐ〉
初期の代表作では、都会の毒にまみれた後ろめたさを「盗賊」と言う
言葉で表現しながら、故郷に戻る喜びが歌われている。そんな山里に
も、経済優先の論理が、容赦無く入り込んできた。気がついたら、森が
荒れ、村に人影がなくなり、代わりにクマやサルが里におりてきた。前
さんの歌が文明批判の色を濃くしていくのは必然だった。
「地球にやさしい」という言い方が一時はやったことがある。専門家に
言わせると、人間のおごりでしかないそうだ。地球温暖化にしても、地
球はそれほど痛痒を感じない。環境を破壊して困るのは、人間だけだ
と。
昨年刊行した最後の歌集『落人の家』には、こんな歌がある。
〈人間のみな亡びたるその後も地球はゆるく流転をすらむ〉
人類が滅亡しても、地球は何事もないように回り続ける。いや、小うる
さい人間どもがいなくなって、むしろ清々しているようにもみえる。前さ
んの深い絶望感が読み取れる。
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お名前は存じ上げていましたが作品に触れたのは短歌研究の誌上
でした。興味深く感じていたやさきにこの訃報を知りました。残念で
仕方がありません。
心からご冥福を祈ります。