母逝きてまだ三日もう三日なり一番電車の遠のく音する
ある時は「帰らないで」と涙する母をいさめて芝居見てをり
妹は母との約束果たさむとまだ温き亡母(はは)のほほ皺伸ばす
表情の出てきたといふ母なれど泣くことなりき頭なでつつ
病室の母に会うため通ひしが「ただいま」と言へりいつよりか吾の
女たちの子守歌 みなみ恋し ふるさと
母逝きてまだ三日もう三日なり一番電車の遠のく音する
ある時は「帰らないで」と涙する母をいさめて芝居見てをり
妹は母との約束果たさむとまだ温き亡母(はは)のほほ皺伸ばす
表情の出てきたといふ母なれど泣くことなりき頭なでつつ
病室の母に会うため通ひしが「ただいま」と言へりいつよりか吾の
経営は見直し政策待てぬとぞ言葉やさしく病棟は閉鎖
貼られたるトイレの暦にわが来る日書かれてありぬペンも置かれて
窓に透く母無き家の冬日かな
ポポ落ち葉母と過ごせし小庭にも
日に映えて土へと還る枯野かな
若き日の母の遺影やおでん酒
母の死にわすれてゐたり冬の星
先月の末にその妻亡くしたるYさん黙して妻を語らず
盲目のYさん椅子より立ち上がり動かんとするにスタッフ走る
男女問わずスタッフとして対すれど時々苦手な人に疲れぬ
ぽぽ落ち葉母と過ごせし小庭へも
窓に透く母無き家の冬日かな
日に映えて土へと還る枯野かな
PROFILE
大正5年 台湾高雄市で誕生
大正7年 幼児洗礼 伊藤春吉牧師 高雄教会
大正12年 北原白秋『多磨』に入会 斉藤 勇 『台湾』に入会
昭和13年 信仰告白(幼児洗礼ではなく自分か受洗) 上 与二郎 牧師 台北幸町教会
昭和15年 軍医の父と結婚
昭和20年8月 台湾引き揚げ 基隆より
昭和21年 塩見靜歩『丹土』 入会 北原白秋『多磨』再入会
昭和26年 東京都婦中町に転居
昭和28年 宮 柊二 『コスモス』 創刊に参加
昭和49年 夫逝去
昭和56年 歌集『ポポの木』 上梓
平成21年12月2日 死去 府中教会員 享年93
信愛病院に5年間入院し信愛教会の本宮牧師に毎日お祈りしていただいた。葬儀は信愛教会に
お願いした。
・空暗く地球の青くみゆる時もガガーリンの頭にみ手のありしならむ
・茄子の馬あれば偲びぬ引揚げのわれは飢えゐて拾いたりしか
・田舎医師となりたる夫が世を忍び長く着たりし軍服ぞこれは
・夫の死に伴ひ入りしそこばくの銭を握りぬ悲しみは湧く
・仏頂面などはするなと夏落葉われを目掛けて黄に翻る
夜の闇の底輝かせ酉の市
小春日の子ら燦々と学びをり
今年もはや12月号が届く季節になった。今年は前年度より大きく後退し雑誌『短歌研究』に掲載される
短歌がすくなかった。 色々バランスを取りながらやっているので満足ではないがこれでよしとしている。
私はいろいろなところに投稿していない。観ていると活躍されている方々は方々に投稿しておられる。
それだけ短歌(うた)をたくさん創る努力があるわけで今の私には欠けている。来年はもっと確実に短歌の
時間を増やしていこうと思う。
後ろだて無き浮舟の幸せを老後の不安と重ね読みゆく
浮舟につきこし人らの老後など語られず帰るもどかしきなり
戦争で儲けし人ら闇にをり例へば満州立国のころ
秋麗の空へと行く手続きけり
水葬を知らぬ幼の吾なりき引き揚げ船より捨てらるる恐怖