山火事  NAOKO

夜に見る山火事耀い広がれり災い住居に近づくらしも

離れいて静かにみている我が罪よ夜の山火事巨大宝石

ちょっとした油断禁物焚き火から小屋に延焼消化器効かず

昼間みる山火事煙が拡大しヘリコプターが水撒く細し

栃木より群馬に山火事移りゆき怖しと想う炎は情念

情報の時を NAOKO

百年に一度とはいえウイルスの変異の情報 チャーハン作る

逼迫の家族感染増えゆきぬ戦中派とう言葉浮かびて

マスクしてスーパーへ行くここかしこ籠一杯に買い込む人ら

夜の川にメロディ聞こゆ焼き鳥屋営業短縮収益減りて

ワクチンの開発進むわが国へワクチン届き接種始まる

宇宙に生きて    JUN

凍星(いてぼし)や宇宙に生きて七十年

多摩川と富士と妻あり初景色

初日記吾の歴史は吾のもの

七草粥振舞はれ皆善人に

友は皆老ゐし賀状の低き嵩

美(ちゅら)さ沖縄  佐野豊子

もう未来見えない日本そのはなのもっと見えない美(ちゅら)さ沖縄

空暗く鳥きしきしと羽博(はう)つなりヤハウェわが神われら生きたし

なんとなく隠しもちたる裂布(さいで)あり祖母の紅型(びんがた)木綿なれども

その山は歌の香久山その山は琉歌の神すむ恩納岳 撃つな

いま思う一心のちから恋をひめ醜女舞たる太き足腰

佐野豊子は「ていだ(太陽)」によって改めてその出自のかなしみを問い直すことに情熱を燃やした。戦火に洗われて消えてしまった家系、ことに祖母の育みによって養われた心の沖縄を取り戻そうと「琉舞」の稽古を復活した。彼女はクリスチャンであるが、その信仰はどこか古代的な琉球の祈りと無縁ではない。その原点の沖縄がしだいに熱く体の中に甦るのが感じられる。   馬場あき子先生評

赤児のやわ髪  NAOKO

千葉のビル冷え冷えと建つ買い物へSOGOの中に入り行きたり

返り来て椅子に座れば夕五時の市からのメロディ市民われ

上階の若い奥さん三人目の赤児を抱きぬ退院したと

生みたての卵のように初々し赤児を見ればふわっと笑う

令和の代生まれ来し子よ母の胸に無心に眠る赤児のやわ髪

彼方なる記憶   NAOKO

師走きて西の青空ちぎれ雲赤く染まりて甘やかに見ゆ

大阪の万博思う遥かにて太陽の塔今も浮かべり

産土の綾部に帰りしことはなし三歳までの由良川の景色

古寺の隣の家の二階より這い降り出でて姉を泣かせし

ニュースあり。そうかあれから五十年自刃果たせし三島由紀夫は「昭和45年11月25日没」

G・ケイオス通信(昭和41年11月)no37号       11月合評作品集

少女らの両股(りょうあし)の返(そ)り羞恥なくジャンプするとき清(すが)し声あぐ

いつよりか沈黙を主義となす吾の暗礁(いくり)の上に波白く立つ

軒低くひそまりて寒き夜の町熱高き吾子をかき抱きゆく

いま癒えて真弓(まみ)の凝視めるそを見れば松笠揺れて青空の中

大昔のうたである。上2首は祐次氏の歌である。互選での点数は少女らのジャンプンプの歌は1票であったが波白く立つは7票獲得で支持率は高い方であった。私の吾子をかき抱きゆくは6票で、松笠ゆれては2票であった。まつかさは松毬だったのかなと今は思う。私は松笠揺れて青空の中の歌の方が好きである。そのほか佐藤慶子さん高野公彦さんの歌などこのころから芽が出ていたのだと思います。次回上げておきます。もう交流がなくなった人ばかりだ。亡くなった方もいらっしゃる。あっというまに過行く時を今は実感している。