市川を詠む ― 令和3年春やよひ ー  長谷川祐次 

春の太陽(ひ)はやさしく射して「早春賦」真間小学校児童の歌声聴こゆ

弘法寺(ぐぼうじ)の「伏姫桜」(ふせひめ)今年も枝垂れ咲き四百余年の歴史を見つむ

国府台砲車の軋むまぼろしを聴きて歩みぬ桜並木を

真間川にじゅん菜池に降る雨は櫻花(はな)を散らして市街(まち)に春呼ぶ

コロナ禍の一年(ひととせ)過ぎぬ早や三月(やよい)「いち歩」のウオーク待たるる出会ひ

                    「松ぼっくり」 いちかわ歩こう会会報誌4月号

                        

3ケ月前のこと  佐野豊子

強すぎた抗がん剤に肝臓をいためて神の領域を踏む

嘔吐して苦しむ日々を萌えいずる歌集は届く渾こめられて

あのかたは岬灯台ゆるぎない信仰もちて施設にくらしぬ

乳ふたつなければ胸は薄いもの入っているのはわたしの心臓

今は肝臓の数値も低くなり癌CA15-3もいまのところ安定しています

燕    NAOKO

介護付きマンション入り口スッと翔ぶ燕の二羽が巣作り始める

徐々徐々に器の形に成りてゆく燕の巣作り丁寧なり

ひたすらに巣に沈むごと温かく卵を抱ける燕を眺む

巣の下に箱が置かれて入り口を出入りする人皆雛を見る

雛たちの背なに乗るほど羽ばたきし元気な雛が1番に翔ぶ

春の虹   JUN

オルゴールほろんと鳴りぬ雛納

三月は青き空より生まれ来ぬ

春雷の残して行きし春の虹

行く雲やグーチョキパーとこぶし咲き

八方へ花溢れさすミモザかな

キリストの脇腹を突く  佐野豊子

キリストの脇腹を突く槍の先したたりやまずたとえば辺野古

戻りたい人生の場所はどこなのか小さい花束置きたいけれど

旧約の神にしたがうダビデの詩殺戮の日々はいまも終わらず

「復活」  NAOKO

「女よ」とイエスに言われし母マリア崇めるこころに会話なししや

べタニアのマリアが好きだ手伝わずイエスの言葉に聞き入り?らる

魂の闇にさ迷うマグダラのマリアの苦悩メシアに従う

銀三十奴隷ひとりの値なり師を裏切りしユダのかなしみ

ゴルゴタの丘に果てたるキリストの復活を見しはマグダラのマリア

春の空   JUN

柔らかな光となるや福寿草

童心の胸を反らせは”春の空

あたたかや丸ごと洗ふ泥の鎌

今朝摘みし春菊和の朝餉かな

人間の吾も動物猫の恋

  コロナ禍の癌    長谷川祐次

コロナ禍の八月半ば告知さるリンパ線節(癌)に茫然自失

抗ガン剤 放射線治療を拒みたる自然療法は日々の散策(ウオーク)

ガン告知受けし夏の日呆然と・・秋逝く夕べやふやく和む

告知さるガンを抱へて四ヶ月八十路の坂道秋風の冷ゆ

エアコンの温風浴びて起ち上がる八十路の朝のラジオ体操

歌集ていだ(太陽)より 佐野豊子

心臓のぴたりと止まりわが犬が死んでいくなり両腕おもし

背骨 腹 眼にもおそらく癌のあるその犬がよぶ母なるわれを

衰弱死するほかやすらぐ術のない犬をいだけばかすか尾をふる