短歌と感情 宮 柊二先生 (9)

短歌と感情(昭和四十三年五月十八日)  −長狭高校講演速記録より抜粋

名をあげてストーブおくれよと笑いつつ師がいえばわくストーブおくれよ

「名
をあげてストーブおくれよ」っていうのは、つまり有名になって偉くなってこの学校にストーブを寄贈しろよと先生がおしゃったという意味である。今、君たち
は定時制の生徒だけれども、一所懸命に働いて有名になってお金持ちになれ、立派になれ、そして立派になったら君たちよ、今この寒い教室にストーブを寄贈し
ろよとおっしゃった。そしたら、みんなが、どっと笑った。

こんな歌、皆さんは、いい歌だとは思われませんか。僕はとってもいい歌だと思う。この作者は今はお母さんである。お母さんになっても歌を作っている。だんなさんは自動車の運転手をなさっているらしい。

お二人は良く喧嘩するらしい。夫婦喧嘩を。喧嘩をしても、怒っても、彼も一所懸命にお客さんを乗せて、努めて、神経を使って帰って来るんだなあと反
省する らしい。そういう歌を作るんです。そして単純に喧嘩なんかしちやいけないななんてそんな歌も作ったりつまり雄雄しく生きて行っているのである。

この女生徒は、今 二十二、三歳になり雄雄しく働いている基礎には、歌をうたい歌を作るということが、根本にあるのではないか。歌うことによって、生まれながらの純粋が甦ってきて、その人間をまた新しい力強いものに立て直してゆく。

つまり、人間の輸血のような力が、歌をうたい歌を作るという行為の中にあるようなきがするのである。

六月   hataoto

Sierra Exif JPEG

勤めゐし機屋の跡地に夏草の生えて一夜を機織虫の鳴く

蜘蛛の巣に捕はれし黄の蝶動く循環バスの発着所

ただという循環バスを待つ間蜘蛛の巣の黄蝶は食べ尽されたり

帰宅せし庭の暗き舞ふ蝶を待つ蜘蛛見上げる小さな蜥蜴

家墓を沈めるダムの喫水線山の中腹示しつつ言ふ

年金の安き吾なり墓石も安値なる外来物を妻は諮れり

去にし後煙草に焼けし吾が家の有りたる夢に亡き父母伴ふ

短歌と感情 宮 柊二先生 (8)

歌と感情(昭和四十三年五月十八日)  −長狭高校講演速記録より抜粋

充血せし眼が痛しと涙たむる電熔工の友とならんで学べり

昼間電気溶接をして働いている友だちと席を並べて学ぶという歌でえある。

私は日本で一番大きな定時制校だという学校の校歌を作ったことがある。その学校の見学に行った。ある教室の外を廻っていると一人の生徒が眠っており隣の生徒は黙って学んでいた。先生も黙って講義をしておられた。

眠っている生徒を起こせば良いのだが隣の生徒は疲れているんだからと起こさない。先生も二人の生徒を黙認して授業を進めておられる。学んでいる生徒は、自分で勉強したノートを後で寝ている隣の友人に見せてやるんでしょうね。

授業が終って夜の遅い廊下なんかで会うと、皆がキチンと挨拶をする。「さようなら」 「失礼します。」とか。許しあう世界、いたわりあう世界、礼儀の世界がちゃんとある。

その後校庭にこうこうと電灯をつけて男女生徒何百人が「佐渡おけさ」他を歌いつつ踊ってみせてくれた。実にきれいだった。若い団結というのはあんなに奇麗なものかと思った。その後壇上に立たせて頂きブラバンの行進も見た。堂々と行進した。

そのあとで生徒諸君と座談会をした。
「どういう校歌を作ってほしいのかあんたたちのきぼうをいいなさい。」そのとき「実は先生さっきの楽器はぼくらが買ったんじゃありません。この学校のそばにある工場からもらったんです。」

「音楽も先生から習ったんではありません。ぼくら、よそのつまり昼間の学校のブラスバンドをもっている学校に録音機を持って行って、採ってきた。そのテープを学校に持ち帰りそれで勉強した。古い楽器の壊れているところは直し自分たちで採取し、本日聞いていただいた
程度の隊伍を組んでやるところまできたのです。」

何処に出しても負けないバンドであり奏楽であった。

私は感動して、そこの学校の校歌を作った。

振り子    寛 

為政者の間引きそこねの生き残り釘箱の釘虚空の滴

埃っぽい部屋に色紙紙風船しわぶき太い夜の住人

知らないと痛み覚えぬこと多く散文的な黒い子守唄

乾かないままで割れてる夢の夢乾いた虹は鮮しい夢

夕暮れがそこだけ残り白日のキャンパス描く不安定の属性

壁際の振り子が揺れてる青い闇回転ドアの赤い循環

不安定な老いゆくものの残像が呟いている無機質の淡

写真提供 【正】 さま

童子   JUN

春雷や微かに起きし旅心

桃の花吾を窺う童子あり

傅(かしず)くや夏座布団の赤ん坊

湯上りや万歳して寝る裸の子

裏庭に父の影なし柿若葉

草匂うよな   mohyo

「うど」つまみほーと落ち着く 忙しく「うど」の皮むく夕餉のくりやに

バロックの音楽聞こゆ虫たちの羽音のような草匂うよな

水道水なれどこの朝春めきぬ耳の裏まで洗ってみれば

氷川丸  ふーしゃん 1996年ごろ

氷川丸のイルミネーションに誘はれて観光客ら船に入りゆく

氷川丸の錨をおろす岸壁に夜の海波暗く打つ音

「重荷負ふ者われ休ません」聖句 日本語に訳し掲げてありぬ

雨あがる横浜の空ひろびろし頭上はブルー遠くは白緑

苺狩り  松岡尚子

花のように次々開く万華鏡くるくる回し心明るむ

人避ける長の子連れて平日に苺狩りせり貸し切りのごと

苺もぐ要領もありひと粒をくるっとひねりわが掌に乗せる

濃きミルクと袋渡され苺狩り初めてを来ぬ五井のハウスに

短歌と感情 宮 柊二先生 (7)

短歌と感情(昭和四十三年五月十八日)  −長狭高校講演速記録より抜粋

喜びを何を例えようわが心友が出来たと叫びたくなる

お母さんを困らせたり、予習もしてこないで先生の困るのを面白がって机の下ばかり見ていたりする。そういうことはやっぱり寂しいところがあるからだ。どこかに友達を欲しいと思っているからかもしれない。その友だちができた。

「俺にも友だちができたぞぉ!」その喜びの表わしようがない。

の歌は、そういう歌ですね。友だちがどんなに大切かという事は皆さんが年齢をひとつ拾い、また拾い、また拾っていくたびに分かっていくのではいか。この学
校の中で友だちと共に勉強しているという喜びをまだ反省していないのではないか。こういったところで青春を、学校時代を学んだという喜びが、将来どんな大
きな力で皆さんに戻ってくるかという事を考えておいても良いと思う。

単に友といっているが学校の、つまり学友と言ってもよい友ではないか。

鳩  ふーしゃん 1996年ごろ

満開のしだれ桜の紅の花右まわりに観左まわりに観る

二日前羽生七冠王挙式せし鳩の森神社鳩の鳴くなり

ゴッホ描けり青の大空黄の畑不安ただよふ曲線の教会