ノロウィルス  松岡尚子

感染症の恐ろしさ思ふ施設内の高齢者あひ次ぎ嘔吐に苦しむ
居室トイレ霧吹き使ひ消毒す次亜鉛素酸ナトリュウム身にも掛けつつ
マスクして一日居れば時折に息苦しくてひととき外す
家庭用の浴槽の中に感染者の衣服を入れて熱湯消毒す
いつの間にあの人もまた次々に高齢者を襲ふノロウィルスは

心象の風景  空っ風

いくつかの季節はすぎて白っぽく腐れゆきたり裡なる樹木

ひっそりと空気の中に眠りゐる吾が心象の貧しき風景

欲りてゐし少年期への憧憬はやさしく芽吹く草の影にも

海を恋ひ少年期を恋ひひとを恋ふ北国の朝の春あさき空

白みゆく夜の眠りに写りたり雪原(ゆきばら)を駈けし汝が後姿(うしろで)

幻覚の世界にあそびし春の朝V・ゴッホと渡りき「アルルの跳ね橋」

野分だつ浅間の原に生きてゐし吾が瞑想録はまだ<青>もてり

残雪の谷川岳にむかひて叫ぶ”キエルケゴールを超へてゆくべし

雨けぶる  mohyo

遠き日の学び思わる水のたび海 雲 雨 の雨けぶる見ゆ
ひと日終へくるまる蒲団に安堵せり強き雨音かぜも混じりて
眠ります母よやすらかなる時を黄の花ゆらら雨降りやまぬ

口惜しさよ  松岡尚子

 

するべきこと優先させる口惜しさよガス代の汚れ時間かけて拭く
栄養を優先させる口惜しさよケーキを避けて人参を採る
苦手なる常識なるもの聞かされて確かにさうだと一時(ひととき)思ふ
写真は今沖縄で咲いているにんにくかづら
綾子

合同歌集「清瀬短歌サークル」

「はじめに」のことばに印象に残る言葉があった。
「先人の秀歌を朗読することも若さをたもつ近道と考えます。
短歌はひとりひそかにかきとめるのもいいですが、他の人に
読んでもらい歌の心が読者に届いた時にいっそう輝きをはなつ
詩形でもあります。」

・もうれつな暑さの朝の道路わきみみずはすでにシミと なりおり

・満員の電車の中に立ち寝する特技も近く終はらむとす も

・かぎ穴の向こうにニャオと声のする帰宅待つリリー今 あけるから

・着替えする吾を網戸の蝉覗く人影のない五階の小部屋

・いつからか夫婦で交わす「ありがとう」労わり生きる 七十路われら

・空高く風とひとつに舞うトンビ悩みの小さくなるまで 眺む

・片目にも視力あるうち読みおかむ満州移民の「信濃昭 和史」

・置き去りにされし男の子の泣く中を聞こえぬふりに逃 避行する

・少年は日本人みてさくらさくらベルギーの街にアコー デオン弾く

・若竹の天空に舞いさわさわとしなう強さを 吾も持ち たし

・十字架が紅茶いろして暮れゆけば祈る人びとなごみゆ きけり

・つね通う八百屋の屋根にふれそふな柿の木芽吹く黒穀 残し

読後感がさわやかで老人カが伺われる。老人が作る短歌の姿勢が示されている。

綾子