天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも 安部仲麻呂
何度も読んでいるが望郷の歌であると最近テレビで知った。そう思い読んでみるとなかなかよい歌に思える。歌の背景を知り歌を読むと違ってくることが分かる。
最近 名もない遣唐使の碑が見つかって話題になった。帰国がきまりさあ日本にというときに亡くなった。吉備真備は帰国して高官にのぼりつめた。それを聞いた玄宗皇帝が官位をあげてその死を悼んだそうである。
これを聞いて私はいろいろなことに思いをめぐらせた。玄宗皇帝に好かれるよい男であった。玄宗皇帝に関わる女性に好かれて別れがたく・・・・・・・・。吉備真備にとっては邪魔な男ではなかったのではないか。
いずれにしても優れた若者だったに違いない。19歳で日本を出て36歳での死36歳で死んだりしたのだろうか。今の日本ではここまでになると癌とか事故以外死んだりしないと思っていた。
吉備真備と並んでは安部仲麻呂もゆうめいである。上記の歌が遣唐使として望郷の思いを歌ったものだということを最近のテレビでしった。彼は帰国船に乗ったが難破して帰国をあきらめたのが50代半ばであった。しかしどうしても望郷の念に駆られて書いたのが上記の歌であった。どのような経緯で百人一首に入っているのだろうか。
彼は70歳で長安でなくなっている。今は北京から成田まで飛行機ですぐである。北京から大同に帰る人は汽車でかえり私が飛行機であれば私の方が早く家に着く。多くの人の勇気や冒険の結果が今日の文化を築いているのだと思う。
綾子