『かぷす』について       mohyo

東京女子体育大学体育学部体育学科を出たのはこのころから10年してから
である。父は病気がちで弟妹3人のことを考えると家から通え授業料もやすい
大学を選んだ。
本当にこの学校が良かったのか迷いながらの時代だった。このころそんな人も
多く各地の進学高から来ていた。
その中の一人Sさんが認知症になり一緒に来てと言われて山梨の友と千葉市
の奥にある一時あずかりの病院に最近行ったことがある。
母に迷惑かけられないから浪人しなかった。彼女の記憶は高校時代のことばかりだった。教育大学太鼓判だったのに落ちたそうだ。母が働いて大学にいけと
励ましてくれていたという。
帰りにはなんだが涙が止まらなかった。学生時代は一度もそんな話をしたことがなかった。私もしなかった。
太極拳や気功をしている今は本当にあの学校でよかったと思っている。
今年の賀状は頂いた人にだけだした。小 中 高を含めて一番多かったあの大学の特に短大時代の同級生。
2年のとき雑誌をつくってきたけど部活にしたいから引き継いてといわれ引き継いた 『かぶす』という雑誌だった。学長先生 ダンスの先輩からも寄稿して
いただいた。
捨てようとしてすてられなかった。

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