前 登志夫さん死去         産経抄より

〈父植ゑしこの杉山の五十年、二束三文となりても美(うるは)し〉
5日、奈良県吉野郡の自宅で、82歳の生涯を終えた前 登志夫(まえと
しお)さんの第八歌集、『鳥総立(とぶさだて)』のなかの一首だ。
 鳥総立とは、万葉集にもある言葉で、伐採した木の切り株にその木の
梢や枝をたてて、山の神に樹木の再生を祈ることをいう。吉野の山中で
代々林業を営んできた前家の25代当主は、自らを「木こり」の歌人と呼
んだ。
 20代は放浪の旅を続けながら、試作にふけっていた。昭和33年に短
歌を試作して『異常噴火』を体験する。まもなく故郷の吉野に腰を落ち着
け、山の精霊やすだま(漢字変換できませんでした)の声に耳をすまし、
歌の調べが聞こえてくるのを待つ生活が始まった。
 〈夕闇にまぎれて村に近づけば盗賊のごとくわれは華やぐ〉
 初期の代表作では、都会の毒にまみれた後ろめたさを「盗賊」と言う
言葉で表現しながら、故郷に戻る喜びが歌われている。そんな山里に
も、経済優先の論理が、容赦無く入り込んできた。気がついたら、森が
荒れ、村に人影がなくなり、代わりにクマやサルが里におりてきた。前
さんの歌が文明批判の色を濃くしていくのは必然だった。
 「地球にやさしい」という言い方が一時はやったことがある。専門家に
言わせると、人間のおごりでしかないそうだ。地球温暖化にしても、地
球はそれほど痛痒を感じない。環境を破壊して困るのは、人間だけだ
と。
 昨年刊行した最後の歌集『落人の家』には、こんな歌がある。
 〈人間のみな亡びたるその後も地球はゆるく流転をすらむ〉
人類が滅亡しても、地球は何事もないように回り続ける。いや、小うる
さい人間どもがいなくなって、むしろ清々しているようにもみえる。前さ
んの深い絶望感が読み取れる。
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お名前は存じ上げていましたが作品に触れたのは短歌研究の誌上
でした。興味深く感じていたやさきにこの訃報を知りました。残念で
仕方がありません。
心からご冥福を祈ります。

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