和敬清寂

 

 

和敬清寂

お互い同志が仲良くする

お互い同志が敬い合う

目に見えるだけの清らかさではなく心の中が清らかである
自分の力で自分の気持ちを清めようとする心が大切。

どんな時にも動じない心である。
あらかじめ予習をしておく、つまり心を作っておく。

綾子

 

利休7則

 

68_s.jpg

 

利休7則

茶は服のよきように点て、炭は湯の沸くように置き、花は野にあるように、さて夏は涼しく冬は暖かに、刻限は早めに、降らずとも傘の用意、相客に心せよ

茶は服のように点て

舌で感じる味覚の満足だけではなく亭主と客の心が本当に通じ合えることがたいせつである。

炭は湯の湧くように置き

単なる炭に関する知識とか炭点前の技術の優劣を言うのではなくて、客に対する真心がこもっているかいないかである。全身全霊お茶に打ち込むことが大切。

花は野にあるように

利休は自然に生える花こそ美しい、尊いのだといっている。自然の持つ個性の美しさ、その生命の尊さをわずか一輪の花においてそれを表現するところに茶の花としての本当の意味があるといっている。

夏は涼しく冬は暖かに

自然と対抗しそれを克服しようということではなく自然と一体となって生きていく態度 盛夏の「朝茶事」は夏の生活を楽しむ 夏の朝の涼しさを味わうといった積極的な夏のすごし方。

刻限は早めに

時間を大切にする。予期せぬことも起きるので何ごとも早めにし約束の時間は必ず守る。

降らずとも傘の用意

露地傘、露地下駄をいつもそろえておくなど心くばりを忘れない。臨機応変の処置ができるだけの心構えと準備をおこたってはならない。

相客にこころせよ

自分勝手、得手勝手ではなくお互いに尊重しあい共に楽しいお茶事を過ごす。

利休七則とは背景に和敬清寂の思想がある。これは茶道の最高の思想でもある。これは茶道の実践をすることにより習得されるものである。

綾子

 

がんばれ社長!に掲載されました。

「がんばれ社長!」というマガジンを読んでいる。最近感想を送ったら拙意見が取り上げられた。嬉しかったのでここに載せます。

『ウィークリー雑感』

■読者から届いたメール

1.千葉県 Hさん(女性)

あけましておめでとうございます。本年もメルマガを楽しみにしております。
さて昨日号の『儒商』を拝見し、思うところあってメールします。
最近、西洋式 “合理的な考え”というものの使い方が違っているのではないかと思うことがあります。たとえば学校です。
制服検査について先生方の中に、「リボンをつけているかいないかは、わかりやすいが、スカートの長さについては、膝上の骨が長い子と膝下の骨が長い子では違うのではないか」などとくだらなすぎる議論があって、制服指導はあまり歓迎されなくなりました。本末転倒です。

果たして、何でもかんでもルールを決めて○か×だけで採点するのが正しいのでしょうか?そうしたルールや評価も大切ですが、全体的に正しいとか、何か変だとか感じ取れる心が大人には特に必要ではないかと思います。目に見えないものを信じるという意味において、神仏を信じる力とそれによって培われる勇気も大切かな、とも。

<武沢より>
Hさんがおっしゃる通り、何でもルールを決めて○か×かで評価するのにも限界があるし、時には弊害だってあると思う昨今です。なぜなら○をもらうことが目的になってしまって、基準が設けられた精神まで知ろうとしなくなってしまうからです。
Hさん、ありがとうございました。

今年は何か前進できそうにな気がしている。

綾子

 

 

初釜でした。

初釜から着物を着て練習に通うと決心して着る練習をした。しかし胸元 裾帯の形 などこまごましたところを見たら満点ではない。

昨夜もその前も練習したが何かが不足であった。初釜で皆さん忙しいのでよれよれではなくきちんとできる人に依頼した方がよいと娘達は言った。わたしはがんばって着物を着てそれでも心配なので見ていただいた。結果はその方が良かった。

胸元の皺は軽く綿をいれてなくした。足の親指と次ぎの足にバンドエイドを巻いて足の痛くなるのを防いだ。着終わってから大股開きで膝を曲げて着物であるきやすくした。着物がずれてきた時も恐れず大胆に引っ張って直すことも覚えた。

終わってから着物をお湯でタオルを洗い固く絞ってポンポン叩きつるす。長じゅばんのえりをとって下着類も一緒に洗濯した。次回は同じ着物では行きたくない。娘の着物をだしてみたら保管が悪く皺だらけである。アイロンをかけてもらってそれを着ていこうと思う。

肝心の初釜は精神的にあまり面白くなかった。しかしお客様の中によい方があり慰められた。来年またお目にかかりましょうといわれた。

星占いを見たら今日はよい日ではなかった。そんな気もしていた。

今日、苦労したことは、あとで必ず良い結果となって戻ってきます。きっと頑張り抜くことができれ
ば、心のもやも晴れ、あなたによい結果が生まれてくることでしょう。がんばりましょう。誰にでもいえそうな言葉であるが『よい結果が生まれてくることでしょう。』を信じることにした。

綾子

2006年を向えて

あっという間に今日はもう3日である。今年は短歌をたくさん作ることに重点をしぼろうと思う。

上司だったS先生はHPからブログに挑戦さらにネット株にも挑戦されるという。目標を読むと年3回は海外旅行。国内旅行にもよく行かれる。月一度旅行された写真が整理されたHPのご案内が来る。

このことに大いに刺激され着実に私も挑戦しようと思っている。旅行はそんなに出来ないから自分の目標に挑戦したい。

また同僚だった人はソフトの種類を集めて日本語訳になるまでを研究したりかなりITの研究が進んでいる。それをブログという形で記録に残している。私には意味がわからないが地道でハイレベルなことだけは良くわかる。

暮らしの研究室というブログでは彼女の視点の幅広さと一途なところが好きだ。私と似ていて違うことを違うといってしまうところである。だから好きな人でもある。今年は昨年よりも真剣に書き込みたいと思っている。

椿わびすけの家というHPにはほぼ毎日うかがっている。裏千家の教授で漱石の研究家でもある。最近はジャーナリストとしても活躍されていて記事は歯切れがよく京都のことはもとより幅広い知識が得られる。

MUKUGEさんは大分の方であるが短歌に対する姿勢自分に対する姿勢が純粋で頭が下がる。

今年は着物を着てお点前が出来るようにすることも目標である。着付け教室で市内の方々と知り合いになれることもうれしいことである。

8日の初釜をまず成功させ月末の短歌の締切りにはいい歌をつくりたい。そして母のところにも出来る限りかよい母の老後が豊かなものになるようにしたい。

岐阜の正さんは失礼なことでもなんでも思ったことを何でも話せるそしてはっきりした意見が返ってくる。

ドイツ在住のジャーナリストTさんは若いがとても教えられる方である。子育てにも積極的に参加されていてヨーロッパやドイツのよさが良くわかる。わたしはメルマガの記事から教えられることが多い。

今年もITから多くの学びがあると思うが自分のブログを充実させたいと思う。このブログでお世話になった渡邊社長さんがお忙しい中かなりの時間をかけてご協力いただいた。高山さんにも感謝したい。

綾子