「がんばれ社長!」というマガジンを読んでいる。最近感想を送ったら拙意見が取り上げられた。嬉しかったのでここに載せます。
『ウィークリー雑感』
■読者から届いたメール
1.千葉県 Hさん(女性)
あけましておめでとうございます。本年もメルマガを楽しみにしております。
さて昨日号の『儒商』を拝見し、思うところあってメールします。
最近、西洋式 “合理的な考え”というものの使い方が違っているのではないかと思うことがあります。たとえば学校です。
制服検査について先生方の中に、「リボンをつけているかいないかは、わかりやすいが、スカートの長さについては、膝上の骨が長い子と膝下の骨が長い子では違うのではないか」などとくだらなすぎる議論があって、制服指導はあまり歓迎されなくなりました。本末転倒です。
果たして、何でもかんでもルールを決めて○か×だけで採点するのが正しいのでしょうか?そうしたルールや評価も大切ですが、全体的に正しいとか、何か変だとか感じ取れる心が大人には特に必要ではないかと思います。目に見えないものを信じるという意味において、神仏を信じる力とそれによって培われる勇気も大切かな、とも。
<武沢より>
Hさんがおっしゃる通り、何でもルールを決めて○か×かで評価するのにも限界があるし、時には弊害だってあると思う昨今です。なぜなら○をもらうことが目的になってしまって、基準が設けられた精神まで知ろうとしなくなってしまうからです。
Hさん、ありがとうございました。
今年は何か前進できそうにな気がしている。