黒牛  佐野豊子

傷口のバンソウコウを剥すようはらりほろり幼日のうた

照る月に雪面まぶしまびけずに祖母に背負われていた飢餓の子

どしゃぶりの由良川だった黒牛が大声でなき流されていた

豊子

長女の誕生日に

 

 

誕生日だった長女は食事のあと、夫と私と次女にパジャマをくれた。
私はおでん夫はワイン次女はケーキを用意していた。何かと忙しく仕事が溜まっていておでん作りで手一杯だった私はびっくりした。

私は自分の誕生日に父母へ感謝の花ひとつ送ったことがなかった。
翌日(今日)同僚がPCの具合を見に来てくれることになった。
学生の頃の友人からケイタイを充電しないと先ほどの音ではもうすぐ使えなくなると電話があった。心遣いがありがたかった。

来週の天気予報は晴れの日が続く着付け教室の先生から依頼されたことがある。丁寧にこなそうと考えた。

正さまからのメルマガには年を取ってからの友人は出来ないと思っていたが案外構築されていくものだと書かれてあった。手話教室に通い自分と同年齢の聾唖者の方と話が出来て何か聞いてあげられることがあればそれをしたいとも。

時々連絡を取り合っている友人ははっきりものをいう人である。無理をしないでおいしいものを食べながらゆっくり過ごそうと約束した。

明日病院に行く途中の梅ノ木の芽が小さく硬いものであったが雪でどれくらい大きくなっているだろうか。ゆっくり咲いて長く咲く梅である。

綾子

文化度UPした我が家

 

 

きょうは元同僚が家に来てPCについていろいろ教えて頂いた。
久しぶりでパソコンに音が出た。夜中にうるさいので出ないようにしていたが久しぶりにヴィヨーンというウィンドウズの開く音がした。

娘達が食事をするときにG線上のアリアを流した。これからは映画も見られる英会話も音が聞けるなんとなくウキウキしてきた。

岐阜の正さまからも力強いメールを頂いている。午前中は昨夜雪かきをしたからと朝寝をしていたらガリガリという音がした。あわてて私も参加して雪かきをする。お蔭できれいになった凍ってすべることもない。いつも来る首をしめつけられたような鳴き方をする2羽の鳥たちもきている。

明日は手紙の返事やお礼の品を送り母のところに行く。雪が降って閉じこもっていたので久しぶりのような感じがする。

綾子

 

長女の誕生日

 

 

朝から雪が降り大手町では6センチも積もったという。電車が止まったり
けが人が出ないか心配であるが雪景色は久しぶりで新しく購入したデジ
カメで写真を撮った。

長女は髪jを短くしてパーマをかけるといい友人の店(下北沢)にでかけた。
次女はチェロの練習で恵比寿までいった。夫とふたりでそれぞれのことを
しているとJUNさんからメールが来た。

姪が二人目の女の子を出産したというメールがきた。弟の喜びが目に浮かぶ。
いろいろ苦労してきた弟が喜ぶのは何をさておいても嬉しいと思う。

子どもは何時になっても心配事がつきものであるが人間がそばにいて会話
することは幸せなことだと思う。

姪の幸せもこの上ないと思う。「早く結婚しなさい。」とお節介をいったころもあった。
今は立派な母親の顔をしてやさしい夫と長女の写真が賀状で送られてきた。

雪が降っているけれど駅まで買いだしに行って長女の誕生祝をしようと思う。
暖かいものがよいというので”おでん”にすることにした。

綾子

 

大寒…

 

 

寒い日が続いている。生暖かいより風邪は引かないかもしれない。
大寒が過ぎると立春で卒業生をだし新しい学年を迎えるという生活
から遠ざかってもう3年になろうとしている。

今頃は持久走の頃で陽だまりにはよもぎが芽をだしたりしていた。
富浦の水仙館山の金盞花など房総半島は2月花盛りになる。

新潟の人たちには申し訳ないと思う。毎日雪かきで本当に辛いだろうと
思う。何かいい方法がないだろうか。これから年寄りが増えるわけだから
屋根に雪が積もらず歩道にも積もらない処置がないだろうか。そのため
なら税金を払ってもよいと思う。

昨日裏千家の和の学校から新聞がきた。美しい写真があった。
大寒は水がよいときでもあるのでお酒 お餅 和紙作りには最適だそうである。

http://www.wanogakkou.com/0news/news_kisetu.html

待てば海路の日和あり

昔聞いた言葉であるが本当にそうであればよいと祈る思いである。

綾子

 

誕生日の出来事…

 

一月十七日は私の誕生日だった。

神戸被災慰霊の日 ヒュウザー小島社長喚問 一億円闇献金事件で野中、橋本、青木氏ではなく村内氏一人が責任を問われた。宮崎被告死刑確定。

ホリエモンの会社が家宅捜査された。ホリエモン ヒュウザー関連で自殺者がでた。本当に自殺だろうかという思いがする。背筋が寒くなる。

人によると上海領事館の自殺 イランと北朝鮮の核問題で米中が画策している。それらを隠すためだという方もあった。国内でさわぎ国外をそらす。今回の北朝鮮のドンの訪中は核も関連しているそうだ。そんな莫大なことをいわれてもびっくりするがポスト小泉の争い自民党内の確執があることはまちがいない。

なんだかさえない誕生日になった。おまけにいろいろ相談してあんなにがんばって楽しみにしていた茶道教室も一時停止にして母の介助に力を注ぐことにした。

かつての同僚はやはりいいものだ。みんな私を力づけてくれる。

綾子

文字は大きくならなかった 2

私が時々ベーコンを買ったことがあるお店のオーナー様は勉強家である。▼こんなふうに書いてありますの
http://ameblo.jp/warau-buta/entry-10007965313.html

インターネットラジオというのがあるらしい。

暮には各メディアで今年の10代ニュースというのがある。これをじっくり比較検討したわけではないけれど視聴者が選ぶ読者が選ぶという文言も恣意的に選んだり選ばなかったりするメディアによってどうにでもなる気がしてきた。

多くの発信方法が出てきてどれを選んでよいかわからない状態ではあるがこんな時こそ口コミが一番信用が出来る。そこでまたサイト運営者同様賛成するものだけが来ればよいという姿勢がはじまるのだろうな。

よい事はメディアの操作などは難しくなると予想できることかな。

わが夫は記録魔のように記録する。彼は後の人が知りたいと思うときに出来るだけ忠実なものを残しておくことが大切だという。残す資料の幅広さは仕事に関することが主なので新聞のように広くない。しかし記録をどう残すのかは大切なことだと最近思う。

綾子

文字をおおきくしてみました。 その1

時々訪問してくださる方から文字が小さくて読みにくいとご指摘いただきました。ありがたいと思いました。弟妹達との記録くらいで多くの人の訪問を期待していない私にとって励まされました。

彼女は昨年掲示板に疑問を持って閉鎖された。もう一人の知人もblogにコメントを書くのもどうかねえと感じたそうである。初めから口下手だし時間の無駄だという人もある。顔も知らない人と話して面白いのという人もいる。顔も素性もわからないからいいということはないだろうか。またこれはインターネットから始まったというのは違うのではないか。

私が妙に気に入っている歌がある。
”月が侘しい路地裏で屋台の酒のほろ苦さ知らぬ同士が小皿叩いてちゃんちきおけさ”
男達はこういうことをしていて最近女性伯父さんも出てきたのではないか。それがネットになっただけである。

BBSはたしかにサイトオーナーがある意味教祖さまで嫌なら自分でサイトをつくりなさいここはイエスマンだけで良いのです出てお行きという世界です。

最近注目しているのはこの方である。椿わびすけ様
http://www.janjan.jp/business/0601/0512297102/1.php?page=2&action=table#bbs

この記事はホリエモンについてかかれたものである。私はホリエモンは合法的かどうかだけの判断で○か×をつけるその法律が出来た基の精神まではさかのぼらない。ある意味仕事の分担の仕方そのままである。わたしが危惧するのは例えば広域〜団のフロント組織は合法的なものである。ホリエモンの基準によると○である。提携はありだ。しかし合法的に裏社会にお金が流れないかどうかは自分の責任ではないと考えるか考えないかがわからない不安がるのである。しかしホリエモン嫌いでなにも考えないのはよくない。私もホリエモンに期待している。

そして記事に対するコメントを書く蘭には反対意見もかけること60歳を過ぎて挑戦されている。HPでも茶道 漱石にも造詣が深く大勢のファンが集まっている。それだけではなく広い社会に発信しておられるのである。

綾子

茶道入門の心得

 

 

前に読んだことがあるが最近また読まないといけないと思う状態になった。

茶は渇を医するに止まる

私はまさにこれを望んでいた。これをわすれそうになることが次々におこり混乱していた。水分も取るほうであるが精神的な渇望の方が大きかった。

茶の湯とは、ただ湯をわかし、茶を点てて、のむばかりなることと知るべし

茶道は私たちのからだに、何に対しても動じないほどの力強さを与えてくれる。いかなる事態がが起きたとしても、それにすぐ対処できる、反応できる能力を与えられる。これが茶道によって鍛え上げられた心の働き、知恵というものである。茶道を学ぶに当っては禅宗の精神をしっかり頭の中に入れておくことが大切である。

禅宗のこころ

虎視眈々としながら悠々中道をいき、その一歩一歩に精神の吟味をとげていく、一点の非も見逃さぬような鋭さをもちながら、悠々迷わず一直線に進み、その一歩一歩の歩みの中に自己の心の中を深く見つめ、磨いていく。しかも注意力を養い、あきず、あきらめない根本精神である。

茶道はいかなる場合も一貫して礼儀を基礎としている。

人が集まっている組織である以上案外難しいものである。生徒の悪い点を教えるという形を踏んで他の生徒に話されると生徒は悪口ばかり言いながら表面的には美しい言葉をならべてこんなバカな世界に入られないと思わせてしまう。

綾子