呉服売り場

茶道をするうちに着物を着たくなった。公営施設で一回千円で午前中3時間くらい教室が開かれているので参加している。名古屋帯を持っていないので安いのを買うことになり着付け教室の先生と浜町にある問屋さんにいった。高くない帯を購入した。明日から名古屋帯を結ぶ練習にはいる。

買い物に行って帰る時先生が「決断力があるかたですね。なかなか決心がつかない人がいます。」とおっしゃった。

私は①今ある着物数枚に合うもの②お茶席でも使えるもの③目利きが出来な
いので高いものに手を出さない。

基準が決まっていることと自分がぱっとみて違うものは良くても買わないからだと思う。

考えたら外出する時のコートがなかった。小田急と京王デパートを回った。三越本店の方が良かった気がしたが高くてかえない。小田急のは安いがすぐいやになりそうなものだった。

京王デパートで古着屋さんが呉服売り場の奥にあった。道行などを全部着せていただいたがぴったりなものがない。私に合うのはその店で新調したもので5万円だった。着させて頂いて私はあまり好きでなかった。

私はそこで着物と帯を借りてその上から道行を羽織ってみた。少し袖丈をのばせば何とか着られそうだ。お直し5000円 道行代5000円で買うことにした。

少し寒いのは襟巻きをすることにした。何も分からない時に買って後悔しないものを買い着慣れることにした。帯が安いのは駄目よという人もいたが茶道教室で練習するときは洗える着物を使う予定なのでそれなりでいいかなと思う。

こうしているとまた働きたくなった。今度は着物を買うために働きたいと思う。

綾子

愛美子おばさんの死 ②

妹から「愛美子おばさんがなくなってね。今日お通夜で明日がお葬式らしい。」の電話。びっくりというより申し訳ない気持ちで一杯になった。小さい頃お正月になるとおばさんの家にいくのが楽しみだった。

おばさんは越路吹雪ににたおしゃれな人だった。今は上野毛の立派なうちであるが幼い頃は電車が通ると良く聞こえるガードの近くの家で3つくらいしか部屋がなかった。一つは玄関のような3畳8畳4.5畳しかない狭い家だった。

おばさんはおしゃれなだけでなくお料理も上手であった。カレーに豆が入っていたり物がない中でも豊かな気持ちになれた。

そんな狭い家におじいさんおばあさんも同居、子ども3人そこに私達4人兄弟と両親が遊びに行ったのである。

おばさんは何もいやなことを言わずやさしかった。

15年前伯父さんと一緒に洗礼をうけていた。伯父さんは母の兄である。その親達は香港台湾で仕事をし既にクリスチャンであった。伯父さんは歯が痛いとペンチで抜くようなひとであった。

葬式はキリスト教式で行われた。牧師が私の従兄弟すなわち伯母さんの長男が最近クリスチャンになったとお話になった。

クリスチャン3代目である。従兄弟は責任感の強い働き者だ。

綾子

愛美子おばさんの死  ①

母はずっと清瀬の病院に入院中である。しっかりしている日とそうでもない日がある。昼夜起きていろいろな話をしハイな状態が続きウトウトしている日が2日くらいあったりすることがる。

一日の過ぎ行く時間がゆったりとしていて1日が24時間の私とは違い1日48時間だ。伯母さんの死を伝えるかどうか考えたが母のお金もお花代として包もうということになりはっきり言うことになった。

母は伯父さんを慰めるからオーバーを出せとさわいだらしい。「伯父さんは15年前になくなったよ。」 「ウソ昨日もここに来て話したじゃない。」

母を説得したつもりであったが夜中に大きな声で賛美歌を歌ったりお祈りをしていたらしい。病気だからあるいは老人だから仕方がないと思っていたが実際に母にあって話してみると母の世界ではおじいさんもおばあさんも生きている。私のことを母親だと思っているらしい。

それが15年前に終わっているとかもう誰も彼も亡くなっていると言われたらどんな気持ちだろうかと思った。

童話「浦島太郎」のはなしが現実味を帯びて私の心にのしかかってきた。

伯母さんの死など知らせなくて良かったのだろうか。わたしならどうだろう。弟妹がいつの間にか死んでいる世界に連れて行かれたらどんなに慌てることだろう。

母は時々この地球上にある他の世界と行ったり来たりしている。

綾子

望郷の歌

天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも  安部仲麻呂

何度も読んでいるが望郷の歌であると最近テレビで知った。そう思い読んでみるとなかなかよい歌に思える。歌の背景を知り歌を読むと違ってくることが分かる。

最近 名もない遣唐使の碑が見つかって話題になった。帰国がきまりさあ日本にというときに亡くなった。吉備真備は帰国して高官にのぼりつめた。それを聞いた玄宗皇帝が官位をあげてその死を悼んだそうである。

これを聞いて私はいろいろなことに思いをめぐらせた。玄宗皇帝に好かれるよい男であった。玄宗皇帝に関わる女性に好かれて別れがたく・・・・・・・・。吉備真備にとっては邪魔な男ではなかったのではないか。

いずれにしても優れた若者だったに違いない。19歳で日本を出て36歳での死36歳で死んだりしたのだろうか。今の日本ではここまでになると癌とか事故以外死んだりしないと思っていた。

吉備真備と並んでは安部仲麻呂もゆうめいである。上記の歌が遣唐使として望郷の思いを歌ったものだということを最近のテレビでしった。彼は帰国船に乗ったが難破して帰国をあきらめたのが50代半ばであった。しかしどうしても望郷の念に駆られて書いたのが上記の歌であった。どのような経緯で百人一首に入っているのだろうか。

彼は70歳で長安でなくなっている。今は北京から成田まで飛行機ですぐである。北京から大同に帰る人は汽車でかえり私が飛行機であれば私の方が早く家に着く。多くの人の勇気や冒険の結果が今日の文化を築いているのだと思う。

綾子

3

寂聴さんの半生で8年間も不倫関係にあった男性は五味康祐だと書いたがその後間違いであることが判明しました。その人の名は小田仁二郎です。訂正と共にお詫びします。

ふくろうさんにお聞きしました。

http://6323.teacup.com/dobardan/bbs

mohyoさん!
先ほど申し忘れておりましたが、山形出身の小田仁二郎氏の瀬戸内晴美氏との接点は、確かでした。なまずさんの掲示板で、確証を得ましたので、安心致しました。どうぞ、詳しくは、こちらにお訪ねくださいませ。
http://www.zusi.net(なまずさんの掲示板です)

ふくろうさん> 寂聴さんのかっての愛人は、おっしゃるように戦後派文学の作家小田仁二郎でした。小田と別れた後に瀬戸内さんが書いた「夏の終わり」「みれん」にその生活が写されているようです。正直なところ瀬戸内さんは苦手な作家のひとりです。あまり読んでいませんが、田村俊子の評伝風の物語はいいほんでした。
とはいえ 8日に「みなとみらい」で、寂聴作の「源氏物語」の朗読を聞くことになっているんです。

綾子