永き日

老いの身を徐々に知りゆく年となり口紅少し濃ゆくさしたり

永き日を迷へる子羊いつの間にか五十を過ぎて独り立ちゐる

パンフレットの高山植物千葉駅の構内に見つけしばらく眺む

尚子

人は人に期待したい。

若い頃、何をやるにもこれからの人ということで期待されていた記憶がある。しかし今は違う。

「もう遅い。そんなこともしらないのですか。」要するに年寄りなどを教えても期待できない。

「若い人を育てる」いい言葉だと思う。あるセミナーでは「元気な人 うまくいっている人の傍にいると自分の運も良くなる」というものがあった。私は怖いと思った。本当に相談したいことはできないのか。

あの人とは親しくしていきたいからあまり暗いことを言いたくなかったといった若者のことばを思い出した。

「あの人は結婚しないでここまで来て立派だけど私は子どもも欲しいからあまり深い付き合いも考え物かな。」

私は人は人に期待するのがよいと思う。期待されたら多少のことがあってもうれしいものだ。

若いことがよい。これはスピード感も含まれるだろうな。実際エレベーターが遅いだけでいらいらしてくる。私も随分犯されている。

昨今起こる奇妙な事件の遠因ではないか。自分の命・権利は両親またその両親が健康で大人になったお蔭で生まれてきたものである。その命を考えないで自分の短い命をどう愉しむかだけではだめだ。

さびしい過ぎる。

綾子