稽古場そうじ納め

楊枝もち床のすきまのゴミをとる檜舞台に顔ちかづけて

みんなみの昔おとめは膝をつき両手で直(すぐ)に舞台をみがく

先生の遺影にわれらこれまでのふるえてしまう緊張を恋う

寒風のふきやむ庭に一枚のガラスふきあう内側の人と

幼子の二足でたちてイサソイソイリズムにのれば手拍子のわく

跡取のつらぬく道は一つにてそを選ばせる飛天の道あれ

冬空の青すむ外にでたくなり窓にのりだす二歳の心

そうじ終え天丼、手うちうどんなどふるまわれおりいただきます

うちそろい稽古場をでて丘くだる夕富士かすか見てきょうは無し

途中下車武蔵小杉でのりかえるいつも別れの手をふるわたし

豊子

舞納め

うちそろい舞い納めする十二月しゅくしゅくとして東京沖縄芸能保存会きもの着て沖縄舞踊を舞うことに抵抗感のあれどあれども

沖縄の「両突き」という舞い足はきものの裾の開くときある

七色の糸で上布を織るようにじんせい後半舞にうちこむ

このごろは恋の重荷をおわせたい男もおらずせいせいと婆

わが生がちぢんでみえる舞踊家の清子先生みまかりしより

沖縄のこころをしばし考えるそしてまよなか風呂にはいれず

ほれぼれと見ることなしと思うまで沖縄舞踊の舞手にあわず

謙遜にものいう人よそこはかと非難をされている稽古場

豊子

夜があける  佐野豊子

キイウイのみどりの輪切りああ酸っぱパソコン画面をみつつ食う餓鬼ねむれないもうしらしらと夜があけるきょうはキリスト誕生前夜

読む本はどっさりあってつらつらと本のとびらで蟻のいねむり

豊子

輪切り  佐野豊子

キイウイはみどりの輪切りすっぱくてやれほのあああ真夜の餓鬼ねむられず明け方三時キリストの生まれる前夜きょうはイヴ

赤小玉ぷちぷちとまとほおばってパソコンに豊子さんを呼び出している

豊子

夜があける  佐野豊子

キイウイのみどりの輪切りああ酸っぱパソコン画面をみつつ食う餓鬼

ねむれないもうしらしらと夜があけるきょうはキリスト誕生前夜

読む本はどっさりあってつらつらと本のとびらで蟻のいねむり

豊子

永き日

老いの身を徐々に知りゆく年となり口紅少し濃ゆくさしたり

永き日を迷へる子羊いつの間にか五十を過ぎて独り立ちゐる

パンフレットの高山植物千葉駅の構内に見つけしばらく眺む

尚子

人は人に期待したい。

若い頃、何をやるにもこれからの人ということで期待されていた記憶がある。しかし今は違う。

「もう遅い。そんなこともしらないのですか。」要するに年寄りなどを教えても期待できない。

「若い人を育てる」いい言葉だと思う。あるセミナーでは「元気な人 うまくいっている人の傍にいると自分の運も良くなる」というものがあった。私は怖いと思った。本当に相談したいことはできないのか。

あの人とは親しくしていきたいからあまり暗いことを言いたくなかったといった若者のことばを思い出した。

「あの人は結婚しないでここまで来て立派だけど私は子どもも欲しいからあまり深い付き合いも考え物かな。」

私は人は人に期待するのがよいと思う。期待されたら多少のことがあってもうれしいものだ。

若いことがよい。これはスピード感も含まれるだろうな。実際エレベーターが遅いだけでいらいらしてくる。私も随分犯されている。

昨今起こる奇妙な事件の遠因ではないか。自分の命・権利は両親またその両親が健康で大人になったお蔭で生まれてきたものである。その命を考えないで自分の短い命をどう愉しむかだけではだめだ。

さびしい過ぎる。

綾子