寂聴さんの半生というテレビドラマを宮沢りえが演じていた。
宮沢りえは若いのか年寄りなのか分からない感じがする女優で将来尼さんになるのかなとドラマを見ながら思った。いい映画でよい味を出していてもはやアイドルりえちゃんではない。
寂というのはさびしいという意味ではなくきちんと整えられた静けさではないか。
和敬清寂という言葉がある。静寂ではない。清寂である。これは茶会が始まるまえの準備万端整えられてさあ始めましょうという静けさのことを言うのだそうだ。
寂聴さんの半生は奔放だった若き日から今東光和尚から得度を受けるまでの出来事であった。
思うに命があふれ出て止まらない女性なのだと思う。思っても動けない人、動かない人がいるがこの人は自分でも自分を止められないエネルギーがあふれ出てくるに違いない。
女優で言えば藤田弓子さんのような体形の人かもしれない。彼女はテレビであっという間にスプーン曲げてみせる。今はある男性と結婚しているが寂聴さんと同じような情熱があるようだ。
今東光氏も僧侶というより政治家 作家という一筋縄で行かないピュアな感じのしない人であった。五味康祐は髭もじゃの着物姿の大衆作家であった。ドラマによると純文学を目指した真面目な作家で寂聴を育てたひとでもある。
週の半分を家にいて後を寂聴の家にいた。頂いた稿料もきっちり半分ずつ奥さんと寂聴に分け与えていた。
五味康祐は舌癌でなくなる。康祐と別れたあとにきた男も事業に職場に平凡な女性がいると分かれていった。しかし事業に失敗首吊り自殺をした。
寂聴は出家することは生きながら死ぬことであるとしている。
そのあたりが私には分からない。今元気に活躍しているのは骨太の寂聴さんである。