「ALWAYS 3丁目の夕日」

急に思い立って「ALWAYS 3丁目の夕日」を観てきた。昭和33年東京タワーが建つまでの一年間の東京下町の話である。
当時の風景は懐かしかった。模型やセット昔の写真を駆使した技術も素晴らしかった。

集団就職で15歳の少年、少女が胸を膨らませて上野駅に到着する。

良家の息子であったが文学を目指すために家から勘当された男、妾の子で母親にも捨てられた少年の様子は血縁だけでなく感性の一致が家族だという視点がある。

これはインターネットの時代には分かりやすいと思う。地縁・血縁ではない感性とか思想の一致という縁はいまどこにもみうけられるからである。

また保険制度も確立していない時代で親の治療代が莫大で身売りさせられる女性もいた。小雪のスタイルの良さが掃き溜めに鶴を思いだされるような清らかさであったが文学崩れ氏のもとを黙って去る。
売られたのである。

懸命に働ききっと今に良くなると頑張って妻と息子を育て三種の神器ならぬ洗濯機 冷蔵庫 テレビを揃え小さな車もある鈴木モーターズ一家。

鈴木モーターズ一家が冷蔵庫の前で大喜びしている一方で無惨に捨てられた古い冷蔵庫とその冷蔵庫に定期便のごとく氷を運んだ親父さんのわびしい顔も何気ないが印象に残った。丁寧に人の心模様を記録した作品であった。

サイクリング・コカコーラが生活の中に入り込んできた時代でもありタバコ屋のおばちゃんも存在していた。

車の量も少なく路面電車があちこちに走っていた。


団就職に出した母親が里心がついてはいけないと心配していながらしていない風を装い「これで口減らしが出来た。」といったり葉書に返事を出さなかった。少
女はもう帰るところがないと考えていた。鈴木モーター社長夫妻の青森行き切符を返そうとして母親から毎月心配の手紙が来ていたことを知らされて帰るシーン
は子どもに甘すぎる私は反省するところもあった。

そして堂々と立ち上がった東京タワーをいろいろな人がそれぞれの思いを持って見つめている夕日の中に聳えている。

15歳で東京にやれるだろうか。私は手放せない。強いやさしい東北の母親像があった。

地上波だけでなくなったのか今度東京タワーは改築されもっと高くなるそうである。

綾子