短歌と感情 宮 柊二先生 (8)

歌と感情(昭和四十三年五月十八日)  −長狭高校講演速記録より抜粋

充血せし眼が痛しと涙たむる電熔工の友とならんで学べり

昼間電気溶接をして働いている友だちと席を並べて学ぶという歌でえある。

私は日本で一番大きな定時制校だという学校の校歌を作ったことがある。その学校の見学に行った。ある教室の外を廻っていると一人の生徒が眠っており隣の生徒は黙って学んでいた。先生も黙って講義をしておられた。

眠っている生徒を起こせば良いのだが隣の生徒は疲れているんだからと起こさない。先生も二人の生徒を黙認して授業を進めておられる。学んでいる生徒は、自分で勉強したノートを後で寝ている隣の友人に見せてやるんでしょうね。

授業が終って夜の遅い廊下なんかで会うと、皆がキチンと挨拶をする。「さようなら」 「失礼します。」とか。許しあう世界、いたわりあう世界、礼儀の世界がちゃんとある。

その後校庭にこうこうと電灯をつけて男女生徒何百人が「佐渡おけさ」他を歌いつつ踊ってみせてくれた。実にきれいだった。若い団結というのはあんなに奇麗なものかと思った。その後壇上に立たせて頂きブラバンの行進も見た。堂々と行進した。

そのあとで生徒諸君と座談会をした。
「どういう校歌を作ってほしいのかあんたたちのきぼうをいいなさい。」そのとき「実は先生さっきの楽器はぼくらが買ったんじゃありません。この学校のそばにある工場からもらったんです。」

「音楽も先生から習ったんではありません。ぼくら、よそのつまり昼間の学校のブラスバンドをもっている学校に録音機を持って行って、採ってきた。そのテープを学校に持ち帰りそれで勉強した。古い楽器の壊れているところは直し自分たちで採取し、本日聞いていただいた
程度の隊伍を組んでやるところまできたのです。」

何処に出しても負けないバンドであり奏楽であった。

私は感動して、そこの学校の校歌を作った。