短歌と感情 宮 柊二先生 (6)

いじわるく答えしあとは寂しさとふしぎにまじりて満足きたりぬ

寂しいけれども、なんとなくすっと気持ちがいい意地悪、皆さん正直に書いてみてください。きっと有るはず。これは悪い性質というものじゃない。僕な
んかも
家で奥さんと言い合う。奥さんが困った顔をすると「自分の奥さんをいじめて、ああ、俺は悪い人間だなあと思って反省して寂しいけれども、片一方ではいつも
奥さんの方が強いですからね。だから妻君がこう困った顔をすると、気持ちいいんだなぁ。どうだ、人間の困る感情って初めてわかるだろう。」なんてそういう
気持ちを抱く。

「意地悪く答えし後は寂しさとふしぎにまじりて満足来たりぬ」という歌の感情、作文で書いてみなさいといわれて書けないだ
ろう。散文ではとても書けない。散文で書こうとすると意地悪の原因があってそしてそう言わなければならなくなってとか意地悪く言ったから喧嘩になっちゃっ
たとか、散文ではもう少し込み入ってしまう。短い作文では微妙な寂しい悲しい親しい感情の陰影が出ない。

歌では、それらがわかる。それは感情を歌っている詩叙事詩だからである。感情というものは説明できない。説明できないがこの歌をうたった人を意地の悪い人だと少しも思わない。こん
な歌をうたうくらいの人は、かえって懐かしい人ぐらいに思う

そういう人は、懐かしい人だと思いませんか。短歌を歌う者の本質がそこにある。

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