満開のしだれ桜の紅の花右まわりに観左まわりに観る
二日前羽生七冠王挙式せし鳩の森神社鳩の鳴くなり
ゴッホ描けり青の大空黄の畑不安ただよふ曲線の教会
女たちの子守歌 みなみ恋し ふるさと
満開のしだれ桜の紅の花右まわりに観左まわりに観る
二日前羽生七冠王挙式せし鳩の森神社鳩の鳴くなり
ゴッホ描けり青の大空黄の畑不安ただよふ曲線の教会
予想もせぬ展開見する人生の不可解故に養ふるこころ
札幌に文学館建ち特集号が送られ来しをよろこびとする
曇り日の潮来のあやめ花びらの白きを眺め紫を眺む
いち面のあやめの群れをやや離れのほほんと咲く白き
睡蓮
もう未来みえない日本そのはなのもっと見えない美(ちゅらさ)さ沖縄
空暗く鳥きしきしと羽搏つなりヤハウェわが神われら生きたし
なんとなく隠しもちたる裂布あり祖母の紅型木綿なれども
その山は歌の香具山その山は琉歌の神すむ恩納岳 撃つな
いじわるく答えしあとは寂しさとふしぎにまじりて満足きたりぬ
寂しいけれども、なんとなくすっと気持ちがいい意地悪、皆さん正直に書いてみてください。きっと有るはず。これは悪い性質というものじゃない。僕な
んかも
家で奥さんと言い合う。奥さんが困った顔をすると「自分の奥さんをいじめて、ああ、俺は悪い人間だなあと思って反省して寂しいけれども、片一方ではいつも
奥さんの方が強いですからね。だから妻君がこう困った顔をすると、気持ちいいんだなぁ。どうだ、人間の困る感情って初めてわかるだろう。」なんてそういう
気持ちを抱く。
「意地悪く答えし後は寂しさとふしぎにまじりて満足来たりぬ」という歌の感情、作文で書いてみなさいといわれて書けないだ
ろう。散文ではとても書けない。散文で書こうとすると意地悪の原因があってそしてそう言わなければならなくなってとか意地悪く言ったから喧嘩になっちゃっ
たとか、散文ではもう少し込み入ってしまう。短い作文では微妙な寂しい悲しい親しい感情の陰影が出ない。
歌では、それらがわかる。それは感情を歌っている詩叙事詩だからである。感情というものは説明できない。説明できないがこの歌をうたった人を意地の悪い人だと少しも思わない。こん
な歌をうたうくらいの人は、かえって懐かしい人ぐらいに思う
そういう人は、懐かしい人だと思いませんか。短歌を歌う者の本質がそこにある。