短歌と感情(昭和四十三年五月十八日) −長狭高校講演速記録より抜粋 -
桑の葉の青くただよう朝あけに たえがたければ母よびにけり
桑の葉が、青くただよってにおう朝に、がまんできなくなって、「お母さん」と呼んだ。
においが青くただようとか白くただようとかいうことはない。しかしこの歌の場合は、「桑の葉が青くただよっている」といっている。これが感じというものだ。
朝の中にあの桑の葉の匂いが流れると、ひやひやした、なんか青いような感じがする。これです。
青
い色というのは、何を感じさせるのか、なんとなく、悲しいような、あるいは気持ちが沈静するような、沈んでいくような、そういう感じをおこさせる。だから
匂いに青いとか赤いとか、白いとか そういうことはないけれども、その人の気持ちによって、匂いを青く感じたり、赤く感じたりするかもしれない。斉藤茂吉
先生は、桑の匂いを青いと感じた。
匂いを何で青いと感じたのか。お母さんが亡くなる時の悲しさが背景にある。お母さんが危篤ということで
家に帰省された。命がもう危ないと思ってせつないような、悲しいような気持ちの、その時に、桑のにおいが流れてきていた。そのとき、「青くただよふ」と感
じとった。「感じ」である。
そういうことを「感情移入」という。作者がそういう感情を持っているから、その感情を相手の中に投入して、相手が感情を持っているようにうけとる。つまり、匂いが色を持っているように感じとる。それを「感情移入」という。
綾子