人も街も置き去りにして万緑の山懐へ歩み入りにき
わが歌枕 佐野豊子
思いでを問われていたり愛深き祖母さえ忘れておりし心に
沖縄を母はかたらず存(ながら)えし命をただによろこぶ戦後
琉球はわが歌枕ほろぼされみずからほろぶたとえば心
アメリカが世界に君臨する野心ゆるすのか返せ沖縄の島
人生がすこし修正されたよう頭髪(からじ)をたばね
頂(ちじ)にゆいあげ
涅槃西風 JUN
梅咲くや急かず気負はず凛として
桃の花吾を窺う童子あり
猛き者疾く滅びよと涅槃西風
太海の海 S.40年ごろ ふーしゃん
夫の鼾高き夜半かな一人生を誤らしめし戦争を憎む
引く潮は岩くぼを急ぎ下(くだ)りゆき押し来る波と
白く揉み合ふ
打ち上げしかじめの散らふ砂深き太海(ふとみ)の磯を一人しゆくも
水仙 松岡尚子
夢ひとつ受けたる心地水仙の球根の袋手渡されつつ
ベッド横に腰掛けふいに寂しかりいとも酷なり老孤といふは
本当に生まれて良かったと思ふかと吾子は問ひたり乙女さびたり
勝敗がすべての如き現実の人間といふを時に憎めり
さくら mohyo
老母と今年もさくら見上げつつさくら並木を去りがたくをり
大声でひとりごといひ女行く背にさくらばな幾ひらつけて
暗雲に蔽われてゐる満開のさくら眼に顕つ白白として
夜桜にこころわななくICUの酸素マスクの母を思ひて