2001年4月
果てなき海へ 投稿者:丸山清美 投稿日:2001/04/25(Wed) 21:55 No.141
一日の終わりを香りで癒す人増えゆく街の言葉はかすむ
吐くよりも吐かれる嘘の中にいて磨きたかった青い山脈
オレンジに空を染めつつ沈みゆく夕日を波が海に混ぜてる
足跡を残さぬ舟に乗りゆきて果てなき海へ出たしと思う
Re: 果てなき海へ 奥村晃作 – 2001/04/25(Wed) 22:00 No.142
少し頭でっかちと言うか、歌がおおむね概念的・観念的・説明的になっていないでしょうか?
ドーナツ髪 投稿者:ふーしゃん 投稿日:2001/04/25(Wed) 21:40 No.140
襲ふがに流れくる一塊の白雲を畏れて見あぐ復活節の朝
殻はじき種を散らしし山椒も緑の新芽わづかに覗かす
ゆく水も空とぶ雲も止まれかしこの数秒を輝かしめよ
子のゑがく画用紙のなかに常にゐてドーナツ髪のわれが働く
Re: ドーナツ髪 奥村晃作 – 2001/04/26(Thu) 07:50 No.143
4首共に良い作品ですね。精神が集中していて、表現の切れも良く、新鮮です。
花風を舞う 投稿者:ひゃら 投稿日:2001/04/25(Wed) 21:19 No.139
人の世のからくりなどは知らねどもティサジゆるらに花風(はなふう)を舞う
※ティサジは手拭い 花風は琉球舞踊の一つ
喫茶店〈すみれ)にひとりストローを噛みつぶすまで人思うとは
ライラック 投稿者:まつなお 投稿日:2001/04/25(Wed) 21:02 No.137
ライラックうす紫の花枝を指差し過ぎ行くマイクロバスに
帰るとき五月の祭りにまた来ると言えば喜ぶ母と別れぬ
JR千葉駅に着きほっとする明日より仕事か、忙しき日々を
駅前の 投稿者:丸山清美 投稿日:2001/04/12(Thu) 00:01 No.130
駅前の電光ニュースの悲しみも広場の夜の賑わいとなる
タクシーのドアしめられ行く先を告げてひとりの私に帰る
帰属することで孤独を埋めるのに抜け出したくて書いてる日記
一日の終わりを香りで癒す人増えゆく街の言葉はかすむ
Re: 駅前の mohyo – 2001/04/12(Thu) 23:07 No.132
駅前の電光ニュースの悲しみも広場の夜の賑わいとなる
上記の歌については紹介コーナー「内定まで」の紹介文も合わせてお読み下さい。ひゃらさんも同じ光景を詠んでいます。
あっけなく 投稿者:ひゃら 投稿日:2001/04/11(Wed) 23:42 No.128
あっけなく歴史は動き妻たちの元気変わらぬカルチャー・スクール
報道は(平成)を告げ日本中(平成)となり(平成)と書く
ファシズムの台頭場面(シーン)を見て寂しキャビアのごとき人間の頭(ず)
Re: あっけなく ひゃら – 2001/04/11(Wed) 23:48 No.129
報道は(平成)を告げ日本中(平成)となり(平成)と書く
この時の平成のおじさん小渕氏はmohyoたちの結婚式でスピーチをしていただいた。大学の同窓会で自転車を引きながら群馬稲門会を作っていった連れ合いの友人としてである。当時は最年少議員と言われていた。小渕氏のご冥福を祈ります。
人妻の恋物語 投稿者:ふーしゃん 投稿日:2001/04/11(Wed) 23:04 No.126
人妻の恋物語聞きしより眠れぬ夜半を風車まはる
第3回コスモス全国大会。鎌倉円覚寺
コスモスの女流が眠る足もとをわたりて遊ぶ円覚寺の猫
高安寺保育園(弟)
母親と園児と固く手をつなぎ行進すれば荘厳さあり
爆弾の落ちくる中に乳飲ましし吾らが会えば大方老けぬ
Re: 人妻の恋物語 ふーしゃん – 2001/04/11(Wed) 23:27 No.127
人妻の恋物語聞きしより眠れぬ夜半を風車まはる
時代物の歌である。人妻なんて今は言わない。ヒトオットと言わないように。きっとふーしゃんの知り合いで衝撃を受けたに違いない。
今の時代は驚くだろうけれどよくある話に過ぎなくなっている。
平安時代の女性はある年齢にくるとよく仏門に入っていた。何故だと高校時代は思っていた。移ろいやすい男の心を頼みにするより仏門だったのではないか。今は起業して経済的にも独立していて扶養家族になったことがない女性もいる時代である。
「あの子たち注意してください。いちゃつきすぎです。この合宿のために私なんかまじめに3日も我慢してるのに!」 「今日は見学です。」 「理由は?」 「妊娠です。」 「長期見学ですね。」 「いいえ 今日だけでいいです。来週 中絶します。」 ・・・・・・・人妻の恋なんて陳腐な表現にすぎない時代なんだ。だからどうしたというわけでもないし・・・・。
また巡りくる 投稿者:三木 勝 投稿日:2001/04/11(Wed) 22:00 No.124
道標のどちらの先も冬の晴道ある限り冬野を歩む
去年今年鏡に向ひ確かめる還暦見えし五十路の顔を
年賀状少し戴く喪にをりて冬の青葉の青を寂しむ
フィールドの雪原独りで歩みゐる不登校児の白き世界よ
家族するために帰りきこの家に蜜柑の青葉雪を被りて
下萌えの青葉の雪に溶けずあり雪解け去れば青の鮮やか
それぞれのその枝先に花芽あり青葉のときのまた巡りくる
Re: また巡りくる mohyo – 2001/04/11(Wed) 22:19 No.125
投稿ありがとうございます。
人から言われてそうなっていくことってありますね。
はじめて「先生」と呼ばれた日 はじめて「奥さん」といわれた日 成人式
で20歳を自覚し具体的には選挙権ができた。久しぶりの儀式「還暦」がある。老いを自覚している人は少ないのではないでしょうか。成人式のときもそんな感じだったけれど・・・。やがて老人の自覚をさせられていくのでしょうか自覚していくのでしょうか。「老い」を美しくしたいがみっともなくても仕方がないとも思えます。やまんばねーさんは「この化粧の顔が私の作った私の顔。すっぴんは親から貰った顔」なんだそうです。老人の顔は親から貰った顔よりもどう生きてきたかが分かる顔でつくりがいがあると言うものですね。
老父母の 投稿者:ふーしゃん 投稿日:2001/04/10(Tue) 00:03 No.119
老父母の小さく争ふかたへにてぜんざいの餅ながく伸ばしつ
革表紙の口語聖書をあがなひぬ主よ生活の中に来たまへ
午後十時基地の喇叭(らっぱ)が聞こえ来てやさしく寂し平安あれよ
銭湯の脱衣場の籠の間に坐り乳児をりたり綿入れを着て
Re: 老父母の ふーしゃん – 2001/04/10(Tue) 00:07 No.120
基地の喇叭そう言えば忘れていました。あの音をなんと表現したら言いのかと作文の宿題の時に思いました。
「やさしく寂し平安あれよ」は言いえて妙だと思いました。
吊るされながら 投稿者:丸山清美 投稿日:2001/04/09(Mon) 23:47 No.118
パソコンに操られてるこの指でクリアーキーを叩きたい恋
受け入れてばかりの意見をそのままに私の中の他人に喋る
生きている今を疑う空しさが生きる力となる日もあらん
吊り革に吊るされながらただ今日を消化するため電車に乗った
Re: 吊るされながら mohyo – 2001/04/10(Tue) 00:35 No.122
丸山さんの歌には清潔感があって、自分の心と一生懸命に向き合っているところに共感が持てます。歌も旨いでしょうという感じがなく等身大
の言葉で語られていてもっと他の作品も読みたくなります。