2002年7月
恍惚の 投稿者:秀子 投稿日:2002/07/30(Tue) 06:58 No.999
穏やかな面差しをして吾を見る友の老母は吾と気づかず
老い母の車椅子押す友の額に汗光りたり夏の夕暮れ
恍惚の老母に役割見つく友洗濯物のタオルたたむを
Re: 恍惚の noriさん – 2002/07/30(Tue) 13:19 No.1000
三首を通して老女が、身体はご不自由でチホ症かも知れませんが、自宅介護で穏やかな生活をされている事が伺い得ます。
Re: 恍惚の 秀子 – 2002/07/30(Tue) 21:31 No.1001
軽い痴呆と足腰が悪いのですが母娘の関係がいいので、穏やかな
とってもいい顔をしていました。
それにしても娘である友人の気持ちはそんな母親を目の当たりにするのが切なく複雑なようです。
ハゲイトウの赤 投稿者:秀子 投稿日:2002/07/27(Sat) 06:07 No.992
台風の余波にさ迷う蝶一つ揺るるカーテンにとまり静もる
母を追い遠き畠まで歩いたあの日ハゲイトウの赤が哀しかったよ
職失せし従兄弟の植えたる公園のオシロイバナのこぼれ咲きおり
草むらにさ緑繁くエノコロの穂がさやさやと音たてて揺る
Re: ハゲイトウの赤 noriさん – 2002/07/27(Sat) 20:35 No.995
「母を追い遠き~」は、
子どもなら、普通は、赤いハゲイトウは綺麗だなと感じる筈ですが、幼かった秀子さんは、「哀しかったよ」と詠っています。幼心に何が起きていたのでしょうか。
Re: ハゲイトウの赤 mohyo – 2002/07/27(Sat) 22:13 No.997
2首目の歌秀子さんのカラーヒストリーとして大切な色だと思います。
私はどうしたら良いか言えないのですが良く言われているのは上の句のエネルギーが下の句までもたない。
赤が哀しかったよ。というのは実感だと思いますがハゲイトウをもっと写実的に歌い込んで哀しかったといわないで伝える方法があればと思います。私は描写をしきれずに途中か最後に主観を述べた歌になって自分のちからの無さを感じています。この歌はおそらく連作になさったらいいのかなと思います。(私がいつも言われている言葉です。)
とても印象的な歌です。
Re: ハゲイトウの赤 秀子 – 2002/07/28(Sun) 07:04 No.998
noriさん、コメント有難うございます。
あの日何があったかは覚えていないのですが泣きたいようなことがあり子供の足で4,50分はかかる畠に母を追って行った事、その途中の大きな家の入り口に真っ赤なハゲイトウが咲いていたこと、今もはっきり焼きついて忘れる事はありません。
上の句のエネルギーが下の句までもたない・・・、哀しいという主観を言わずもっと写実的に、本当にそうですね。でも私にはそれがなかなか出来ない、難しいです。でも努力します。
mohyoさん有難うございました。
(昨夜息子が帰宅、例によってPCを占領され、遅くなってしまいました)
野良猫 投稿者:noriさん 投稿日:2002/07/26(Fri) 08:05 No.985
ドッドドウと海鳴り聞こゆ吾が里に六十年の来し方想う
遅々として進まぬ診察順番に待合室に溜め息聞こえゆ
カーテンを開けて庭をば眺むれば日陰を選び野良猫が行く
Re: 野良猫 ひゃら – 2002/07/26(Fri) 18:33 No.987
いつも楽しく拝読させていただいています。一首目、三首目がすきですが、作品としては、二首目が、まとまりがあるとおもいました。「ドッドドウと海鳴り聞こゆ」「来し方想う」で、六十年の人生が、平明でなかったことが、想像できます。また老年前期になられたのでしょうか、時間がドット速くながれていく、感覚と不安をかんじます。こうした上句と下句をつなぐ三句目「吾が里に」はあいまいです。地名をいれておけば、noyiさんを知らない人も楽しめるでしょう。三首目はタイトルになさったように、下句は魅力があります。しかしそれを導きだすための上句が、説明におわっています。「庭にむくカーテン開ければひっそりと」くらいでいかがでしょう。
Re: 野良猫 秀子 – 2002/07/27(Sat) 06:16 No.993
一首二首三首とも好きです。
どの歌も情景がありありと想像できます。
noriさんより先に割り込んで御免なさい、ひゃらさんの言われる”説明”とはよく耳にするのですがなかなか難しく、区別がつきません。
Re: 野良猫 noriさん – 2002/07/27(Sat) 20:26 No.994
ドッドドウと海鳴り聞こゆ 遠州 に六十年の来し方想う
庭にむくカーテン開ければ暑そうに 日陰を選び野良猫が行く
以上に推敲してみました。
Re: 野良猫 mohyo – 2002/07/27(Sat) 22:00 No.996
私がもしこの2首を短歌教室に出したとしたら多分hyaraさんと同じかもっと強く言われたかもしれません。
情景が分かるというより作者が見えないです。
吾が里 とか 遠州 というと広すぎて誰にでも当てはまります。
ただ吾が里とか遠州をつかいたいnoriさんの気持ちも分かります。
歌い込んだ人には「吾が里」 「遠州」が使ってあるためにこの一首がありきたりになってしまって残念だと思えるのではないでしょうか。
同じく2首目 日陰を選び野良猫が行くという下句を活かすためにはできるだけ主観を入れない方がすっきりわかると思います。これは直ぐ私も主観を入れるので主観を入れないで情景を歌った方が伝わると言われます。カーテンを開けたらこうだったで31文字ですから眺めたらねという必要が無ければ勿体無いという事ではないでしょうか。
紅型? 投稿者:まつなお 投稿日:2002/07/25(Thu) 00:59 No.984
フラッシュが光る瞬間とっておきの笑顔見せつつ人形となる
小さくて観光客の島といふイメージ変はる紅型を着て
笠被り姉は舞ふらし王朝の「四つ竹踊り」を我は待つ
紅型を脱げばすっきり普段着の我にもどりてお茶をすすりぬ
親友とかつて訪ねし沖縄の青海原のその清けさや
俳句で御免 番外編 投稿者:JUN 投稿日:2002/07/24(Wed) 09:24 No.978
時は今ライスシャワーや夏館(なつやかた)
華燭の典どかんと梅雨の明けにけり
カリヨンの響く門出や夏の雲
Re: 俳句で御免 番外編 mohyo – 2002/07/24(Wed) 23:09 No.981
華燭の典今日より彼女が糸満綾子で 元 糸満綾子 より糸満綾子は一生私だけの名前だとずっと思って生きてきました。
心のどこかにいつも旧姓が残っていました。同姓同名ってこういう感じなのか。
Re: 俳句で御免 番外編 ひゃら – 2002/07/26(Fri) 17:30 No.986
あの日、遅れてしまい一生のふかくでした。この句を読んでjunさんの思いがわかります。晴れ晴れとした喜びが、伝わってきます。とくに、二句目「どかんと」のつかいかたが、新鮮でした。
孤独をまといて 投稿者:秀子 投稿日:2002/07/24(Wed) 07:28 No.977
夫も子も吾の知り得ぬ今日の日の孤独を抱きて夜を迎える
思い切り水圧上げてシャワーする心の澱みを洗い流さむ
足元を蝿を喰わえし蟻が行く孤独をまといてひたすらに行く
隣り家の二階まで延びたる笹の葉の陰くっきりと白壁に揺る
Re: 孤独をまといて noriさん – 2002/07/24(Wed) 17:26 No.979
孤独という文字が二回出ていますね。
秀子さんでも「孤独」を感じる事って有るんですね。
家族、兄弟姉妹とはいえ、あくまでも個人という集まり、繋がりです。若い頃は考えもしませんでしたが、最近フト「孤独」を感じる時が有ります。
Re: 孤独をまといて 秀子 – 2002/07/24(Wed) 22:50 No.980
年を重ねるごとにどうしようもない孤独に陥ることって誰もが経験する事なのでしょうか。
猫を見ても蟻を見てさえもみょうに寂しさを感じてしまいます。
Re: 孤独をまといて ひゃら – 2002/07/26(Fri) 19:46 No.988
はじめまして。いつも楽しく拝読させていただいています。また、私のうたに、あたたかいメッセージをいただき励まされています。「孤独」について、noriさんのふかい読みと、秀子さんの解説がありますので、わたしは、表現に触れてみたいと思います。わたしは三首目が、印象的でした。蝿をくわえた蟻がけんめいに巣にはこんでいく。どこか切ない場面です。たぶんわたし達の人生ともかさなるからでしょう。「蟻は一匹ですか。「孤独をまとう」ですからそうでしょうね。しかし、もうすこし、ゆっくり考えてみますと、蟻のけんめいな姿に美しさを感じる人もいるでしょう。孤独をまとうためには、それを決定づけることばが必要になります。なかなか難しいですね。わたしでしたら「孤独」をさけて、たとえば下句を「けんこんとして日の照るまひる」など景にするでしょう。
Re: 孤独をまといて 秀子 – 2002/07/26(Fri) 21:09 No.989
ひゃらさん、お世話になっております。
ひゃらさんのおっしゃるように孤独という言葉を安易に使いすぎたかと思っていました。
深く掘り下げて考えることが苦手で、つい簡単に片付けてしまう悪い癖です。
”乾坤として日の照る真昼”とてもそこまで考えが及びませんでした。情景が目に浮かび素晴らしいです。
貴重なご意見、本当に有難うございました。
今後ともどうぞ宜しくご指導下さいませ。(時々でも)
Re: 孤独をまといて mohyo – 2002/07/27(Sat) 00:04 No.990
なーんだあ!!!秀子さんたら。良かった良かった。わたしは一日中
秀子さんは更年期障害か老人性のうつかもしれないって本気で心配していたんですよ。良かった。私が一番とぼけていたなんて!いつものこと
だけれどね。ひゃらさんは琉舞と短歌に突進中とのことでなによりですがたまには投稿して下さい。・・・・ということで明日は吾が娘の婿が
合唱の舞台があり見に行きます。
Re: 孤独をまといて 秀子 – 2002/07/27(Sat) 05:57 No.991
mohyoさん、ご心配いただき恐縮です。でもまんざら的外れでもありません、万年更年期障害、軽い鬱状態であることは否めません。
あまりにも小さなものに目が行くと笑う人がいますもの・・(夫)笑
娘婿様の晴れの舞台、ご成功をお祈り申し上げます。