ふーしゃんの短歌ワールド
☆☆☆☆ 4号 2000年5月15日 by mohyo ☆☆☆☆☆☆
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☆ ふーしゃんの短歌ワールド ☆
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☆ われわれは作品によってみずからの生を証明したいと思う。 □宮 柊二 □ ☆
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☆☆☆☆★☆☆☆☆ ー次号は5月30発行予定ー ☆☆☆☆
◆ 結局人を救えるのは文学だと思う。……… 同僚 S・H 氏
ふーしゃん(母)は短歌結社『多磨』の北原白秋に師事。『コスモス短歌会』故 宮 柊二先生に師事現在にいたる。台北第一高女を経て台北師範卒。小学校教員を数年経験後,軍医であった父との結婚により退職。日本基督教団東京府中教会員。
◆ふーしゃんのうた -大王椰子-
安曇野の大き野沢菜の葉のあいだ猫現れてのびをせりけり
何気なく押ししスタンプ夜の目にいたくなつかし碌山美術館
群花の黄のつはぶきにわが影のわれを連れつつ通り過ぎたり
ぴいひょろろ鳶のはろけき声めぐる「遊女も寝たり」の句碑に寄るとき
昭和4年台北の小学校を卒業しき今日御徒町のうなぎ屋に集う
PKO法案成立し心悲しめり1992年6月15日午後8時29分
出征は明日だと彼は初めてをわが手にぎりぬ大王椰子の下
健康靴はきて摘みにしイスラエルの野の花やさし押し花となり
■ひゃらのうた ーすいっちょー
糸杉のような青年牧師散歩するくらみつつ春はくるらし
聖書よむ朝のすがしきたとえれば水面へ蹴あがる水の感触
礼拝のおわり静かに横臥してホスピス棟へもどるひとあり
柔らかい草になりたしただ歩く老人ホームの部屋の名タンポポ
頼まれて聖句よむわれ寂しくも大声を出す老いたる耳に
老人のベットが並びそこに臥すひとりひとりは戦後を生きき
教会を去るわけ聞くもさびしさはかぎりもあらず来て啼けすいっちょ
■でんでん虫(孫)のうた
「 同じだったらいいのになぁ」
いろいろ人生びっくり
玉手箱
いつかそっと開けたとき
いろんな花の花畑
ほのかに漂うその香り・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・同じだったらいいのになぁ
・・・・・・・・・・同じだったら・・・・・・・・・・うれしい!
いつも心にいる ・・・・・・・・・・・・・・・・・K・Y。
●mohyoのエール
ふーしゃんと台湾にいったとき並木道をタクシーで走っているときに「この大王椰子が植えられたばかりだったのに大きくなって」と言って父とはじめて手を握って歩いた道だと教えてくれました。私は窓から大王椰子を眺めて父の心を感じていました。父に心を手向けました。
ふーしゃんは苦労をしたので父のことをどう思っているのかわかりません。ただ懐かしさはあって私に話してくれたんだと思います。
ふーしゃんの家が倒産して引っ越すのを父は駅で見送ったそうです。
ふーしゃんは3歳で誰かに抱かれて遠くの町に行くのを8歳の父は覚えていたとその時に母に話したのかもしれません。母は記憶に無かったと言ってました。戦争が無かったら父はどんな人生を送ったのだろうか。