3号 2004/04/28

ふーしゃんの短歌ワールド

☆☆☆☆ 3号 2000年4月28日 by mohyo           ☆☆☆☆☆☆
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☆ ふーしゃんの短歌ワールド                     ☆
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☆ われわれは作品によってみずからの生を証明したいと思う。 □宮 柊二 □☆
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☆☆☆☆★☆☆☆☆ ー次号は5月6発行予定ー          ☆☆☆☆

◆ 結局人を救えるのは文学だと思う。……… 同僚 S・H 氏

ふーしゃん(母)は短歌結社『多磨』の北原白秋に師事。『コスモス短歌会』故 宮 柊二先生に師事現在にいたる。台北第一高女を経て台北師範卒。小学校教員を数年経験後,軍医であった父との結婚により退職。日本基督教団東京府中教会員。

◆ふーしゃんのうた -死んだふりして-

夕づけるしだれ白梅見あぐれば花花やさしわが顔に垂れ
愛猫の事故死に会いてなきじゃくる女孫のそばにひと日居りたり
六十歳にもしもなったら眼のみ開く白いパックを初めてしよう
(若き日の歌)
マーケットに米が無いならばパンやうどんを食べればいいさ
吹きたまる桜花びら手握りぬ少しよごれて柔き感触
吹きたまる桜花びら抱え込みこぼしつつ尚抱え込む少女
ころころと走る花びら渦を巻きやがて平らか死んだふりして
『慕情』観て涙のごえるハンカチをていねいに置く洗濯かごに

■ひゃらのうた ー少 女ー

昼の坂ぷっちんぷちん痛そうに乳房ふくらむあの木は少女
感情はぬめりをおびて光りたり絶対ゆずれぬ短歌の一線
夫の顔 目 耳 指にひろがれる湿疹かゆしストレスという
人間の微妙なこころも透視する知能のたかき猿の平鼻
出会いつつ裏目裏目にでる友よ あとひと月で二千年になる
おもそうにひまわりの花ゆれる夏少女は無惨を日々見ていたり
「いつまでも咲くから嫌い」サルビアの岬の写真につぶやく少女

●mohyoのエール

ふーしゃんは肉好きです。美味しいものを食べようと誘って私が年寄りだからと蕎麦屋を探すとがっくりしてしまうことがあります。ひゃらが「お母さんは30歳くらいまで台湾の味で育ったんだから私たちとは違うと思う」と教えてくれました。

ふーしゃんと二人で台湾に行ったときに台南市の高台で生まれた家はあのあたりだと懐かしそうに言っていました。ふーしゃんの父は沖縄炭坑の会社の重役でした。母の母すなわち祖母は香港で暮らしていたときには料理をしたことが無かったそうです。お手伝いさんがみなしてくれました。台南の家は豪邸だったそうです。それが倒産してその責任を祖父一人で負ってしまい貧乏のどん底になったのです。

それから台北の狭い家の跡や母の通った教会のある台北の街も歩きました。一高女のときには貧乏をコンプレックスに思っていたそうです。
興味の対象も多々ありました。遊郭を独りで見学に行きあまりに疲れたので一休みさせてもらったら居眠りをしてしまったそうです。

起き上がった母に「こんなところには2度と来ては行けません。」と女将に注意をされて帰宅したそうです。やさしく強いご注意であったと推察しました。こともあろうに一高女の制服のまま行ったのです。
公になれば退学にされるべき重大事件だったと思います。

其処に働く女将の度量が彼女を救ったのです。その街にしか生きられない女性にとって自由にはばたけるように見える制服の女性は目障り以外の何者でもなかった筈です。母は制服以外で外出できる服が無かったのではないでしょうか。

ふーしゃんはそういった相手への心配りより自分の興味を先行させるところがあり、それを助けてくださる方が必ず居る人生のようにも見えます。