24号 2002/09/30

ふーしゃんの短歌ワールド

┏☆★☆━━━━━━━━━━━24号 2002年9月30日 by もひょ ┓
http://www.kokoronouta.net/
★☆★☆★ ふーしゃんの短歌ワールド ★☆★☆★
われわれは作品によってみずからの生を証明したいと思う。□ 宮 柊二 □
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次号は10月中旬予定

ふーしゃん(母)は短歌結社『多磨』の北原白秋に師事。『コスモス短歌会』 故 宮 柊二先生に師事現在にいたる。台北第一高女を経て台北師範卒。小学校教員を数年経験後,軍医であった父との結婚により退職。日本基督教団東京府中教会員。

裏磐梯            投稿者 ふーしゃん

・濃き薄き山重なりて夜は明けぬ湖水のおもて未だ輝かず
・山上の星かげ徐徐に明り来て鮮やかに見ゆ尾を巻く蠍
・暮れ切りし裏磐梯よ火の粉散りキャンプファイヤ太ぶとと立つ
・火の柱かこむ若人、子どもらの歌声湧けりああオブネレリ

明け方の夢          投稿者 mohyo

・次々にビル崩れゆく歌出来た 九月十二日明け方の夢
・アラブ人が毎日テレビに映されて頭の手拭まねてかぶりぬ

奥村晃作

2首共に分かりやすく素直な歌である。
1首目 この歌は9/11を意識して作られたものである。たまたま夢を見たのが9月12日であったわけだが、この「9月12日」という言葉がよく効いている。「9月11日」とすると内容的にも付き過ぎでつまらぬ歌となるし、リズムの上でも緩みが出る。
2首目 2句の「毎日テレビに」は4.4調の8音でリズムに緩みが出る。「アラブ人今日もテレビに」と定型に収めたい。

JR千葉駅          投稿者 まつなお

・JR千葉駅前の大画面に取り組む力士をしばらく眺む
・仕事終へ必ず寄りぬ千葉駅のドトール店内客が憩へり

mohyo

千葉駅にはあまり行きませんが今度ドトールによってみます。偶然会ったら歌の話をしましょう。

爪切り             投稿者 秀子

・雨の朝白内障の姑に付き検査終わるを夫と待ちたり
・遠近に真っ赤に燃ゆる彼岸花そこだけ浮きて雨に濡れおり
・爪切りは夜にするなと聞きしこと切るたび浮かぶ親なき今に

mohyo

2首目 奥村晃作短歌ワールドの9/26に彼岸花の群生している写真がありました。幼い頃はおどろおどろしい色で茎がまっすぐなことに目が行きました。
3首目 私もいつも思い出していました。宮 柊二氏夫人、英子さんの歌にも足の爪を切るという歌があって”なまめかしい”と思った記憶があります。

-noriさん

二首目は、彼岸花の葉は花が終ると出ます。
花だけ草に抜きんじて高く咲き誇る彼岸花の様子が手にとる様に伺えます。「そこだけ浮きて」が山を作っていると思います。雨も情緒を添えていますね。良い歌ですね。
三首目は、「夜爪を切ると親の死に目に会えないぞ」といわれたものでした。昔は蝋燭とかランプの時代ですから暗かったわけで、そんな時爪を切るのは危ないから止めなさい・・・という戒めですね。若い人達は全然気にしていません。

拉致事件            投稿者 noriさん

・電線を潜り抜けたる名月に虫の音冴えて風も治まる
・吾の非を素直に認めぬ性格は亡き父に似て頑固者なり
・拉致されて帰国も絶たれ死し人は真実語る術なき哀れ

mohyo

noriさんこんばんわ!よかったあ!!noriさんがいないこのHPはなんか変だからね。!!!!どんなにたくさんの人が来てもどんなに上手な人が来ても秀子さんとnoriさんががっがっがと力ずよく更新してくださっているところにこのHPの原点があると思っています。
忙しいでしょうがよろしくね。!!!

どこまでも脱力         投稿者 麦生

・線路に耳おしあて汽車を待つように目をつぶる君の胸に耳あて
・抱かれて指しゃぶりしながら眠る子のどこまでもどこまでも脱力

奥村晃作

作者はあえて定型を崩すという冒険をしている作品である。
1首目
読みで初句を「線路に」で切って読んでしまった人には最後まで違和感のあるリズム になってしまう。
線路に耳 おしあて汽車を 待つように………というように一マス開けて読むと短歌の読みになる。読みの入り方としては「線路に耳」は無理であろう。
2首目
抱かれて/指しゃぶりしながら/眠る子の/どこまでもどこ/までも脱力これは短歌のフォルムを生かしたリズムで読んだものでる。
内容のリズムで読むと短歌読みではなくなる。現代詩のようになる。
上の句を工夫して「どこまでも どこまでも 脱力」と言うリズムを成功させたい。
短歌はフォルムを生かしたリズム構成が大切である。

火災報知器           投稿者 博夫

・いつだって押せて押したら、だれだって押せて押したら鳴り出す火報(かほう)
・透明な薄いカバーの向かうにてただそのときを待つ押しボタン

奥村晃作

作者は2首連作を試みている。ペア作品である。
麦生さんが定型を壊そうとしているのに対して作者は定型にあてはめることに、拘りすぎている。
必然の字余りならば構わない。むしろ字余りが良い場合もある。
1首目
火災報知器を火報とするのは無理である。
”いつだってだれだって押せる だれだって押せば鳴り出す火災報知器”とすれば火報としなくても良いのではないか。2句は1音の余りとなるが構わない。
2首目
「透明な薄いカバー」 は口語表現であり、「向かうにて」は文語表現であって一首に文語と口語が入交じっているスタイルは混合体であり、しかも文語がベースになっている場合をわたしは「文語口語混合体短歌」と呼んでいる。
現在の短歌はこのスタイルが自然である。これがもう一歩進むと口語がペースとなる「口語文語混合体短歌」、さらにその先が「口語短歌」である。加藤治郎により「口語短歌」は実現されたが、その後の展開を見ると加藤の歌も、東直子の歌も低迷しており、やはり「口語短歌」はムリのように現段階では思われる。
なお、俵万智の歌は「文語口語混合体短歌」であり、一首の骨格は文語である。

死にざまぞよき         投稿者 夏川

・このところやたら画面でうちそろい頭を下げるところにでくわす
・身のどこも生あるときのままにしてころがる蝉の死にざまぞよき

奥村晃作

講評

1首目
誰でも見ている場面であるが、歌にしにくい題材でもある。
”やたら” ”でくわす”というあまり上品でない言葉を使うことにより、批判を交えたシニカ ルな味わいの歌となっている。

”やたら画面”で”の助詞の使い方について
画面”に”にすると「うちそろい」にかかる。
画面”で”だと「頭を下げる」にかかる、”に”は文語。
”で”は口語だが、”に”よりも語勢が強く勢いがあり、この場合は歌柄からいっても「画面”で”」の方が妥当 である。

2首目
蝉が転がっている場所情景を詠っている作品はよくある。しかしこの作品は場所はど こでもよいのである。
上の句を受けての「死にざまぞよき」という結句が良い。

2首共に完成された作品である。

成田空港            投稿者 邦彦

・自らが決めし留学日本に合わざるは吾の血脈ゆゑか
・振り返り振り返り行く息子(こ)の心あるいは一期 空港 の夜
・様々な別れの舞台空港は華やかゆゑの悲しみに満つ
・日の丸を振りて戦さに再びは息子送らじ 成田空港

時に激しく           投稿者 史人

・緩やかに時に激しく三味線は津軽じょんがら節を奏でる
・斑雪残る山路のあちこちに山菜採りの車置かれる

mohyo

こんばんわ!しばらくでした。
2首目がとても気に入っています。ずっと前のお歌より若くて躍動感あふれる歌ですね。相当勉強されていらっしゃるのですね。

山陰の旅            投稿者 露壜

・日御岬 思いを沈める冬の海 砕ける波に浮かぶ面影
・笛響く 雪の山河と雪の空 海を超え行く餘部の橋

mohyo

2首目 笛が遠くまで響く・・・首都圏にいると空まで響く感覚を忘れていました。電話・FAX・おふろ トースター 冷蔵庫 炊飯器皆音で知らせてくれる便利なやつだけれど虫の音もかき消されそうな音に囲まれている私たちです。
投稿ありがとうございます。歓迎いたします。

あとがき

校舎建設のため仮グラウンドでの運動会。
隅に設置された竹竿にするすると上っていく国旗を見つめながらものの豊富な時代にひかる手作りの優しさに感謝した。
(ゆ)