ふーしゃんの短歌ワールド
┏☆★☆━━━━━━━━━━━22号 2002年9月4日 by もひょ ┓
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★☆★☆★ ふーしゃんの短歌ワールド ★☆★☆★
われわれは作品によってみずからの生を証明したいと思う。□ 宮 柊二 □
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次号は9月中旬予定
ふーしゃん(母)は短歌結社『多磨』の北原白秋に師事。『コスモス短歌会』 故 宮 柊二先生に師事現在にいたる。台北第一高女を経て台北師範卒。小学校教員を数年経験後,軍医であった父との結婚により退職。日本基督教団東京府中教会員。
青い目 投稿者 ひゃら
褒めじょうず時におさなをあやすごとし歌人の友にまなびまなべず
青い目のひとつ壊れた人形をむかしむかしに抱きてあそびぬ
弔辞さえゆるさぬような華やぎをわれらに残し歌人逝きぬ
個は孤にて音楽好きにて意志つよくゆるぎなき意見ありてこそ華
老醜をさらすことなく逝きていまどうしてますかとワープロにうつ
親族愛 投稿者 mohyo
中国の女性教師の説明はもの言ひやはくはみださぬ構え
戦ひの無惨を告げる起結なり親族愛が民族愛になりて
奥村晃作
はみださぬ構え → 的確な表現か疑問である。
2首目 はりきりすぎて歌が概念的になっている。イメージがない言葉、感覚性がない言葉を連ねたら失敗する。触発されたものを具体的に挙げると良い。女性教師はイメージしやすい言葉である。
リアリティのない言葉を並べても歌としての力がない。
mohyo
親 兄弟姉妹を愛することは美しい。しかしそういった親族愛が往々にして戦争の起点になっていることに気がついたので歌にしたかったが討死にした。
「炭坑節」 投稿者 まつなお
蜩の声叫ぶが如く聞こえ来る団地の裏の公園あたり
二十代を共に学びし教会の修養会より寄せ書き届く
かつて聞きし蜩の声蘇り山路涼しき箱根を思ふ
恒例の盆踊りの曲流れ来るパソコンの本を読みつつおれば
「炭坑節」幾度も聞けば茫々と遥か昔の我に戻れり
mohyo
ひぐらしの鳴き声は高校野球の終わり、夏休みの終わり、学校がまた始まる 夕方の景色 死 もののあわれ 宿題 試験 体育祭 なんだか凄くいい気分で穏やかに聞いたことがなかった気がする。
noriさん
「恒例の盆踊り・・・」盆踊りとパソコンの対象が面白いです。
「炭坑節」幾度も・・は、茫々とですからボンヤリと幼い時の盆踊りを想いだしておられるのでしょうか?
この二首は、単細胞の私にも解かり易くて好きです。
三歳のまま 投稿者 秀子
新盆に訪いし亡母の生家にて麦茶運ばれ深々と礼さる
生きてれば今年六十の兄の顔瞼に浮くは三歳のまま
朝ぼらけ静かに昇る太陽の荘厳の赤恐るるほどに
背伸びせば届くがに見ゆ太陽の赤々としてビルの上なる
炎天下高校球児のめくりめく汗と涙の熱き戦い
秀子
朝東の空に上ってくる太陽の例え様のない荘厳さをどうしても表現できません。
ひゃら
東から静かに太陽が昇ってくるのってすてきですね。私は富士五湖で見たことがあります。秀子さんはどこでご覧になったのですか。誰もが感動し、歌にしたくなる場面ですから、秀子さんオリジナルの太陽にするためには、秀子さんしか知らない具体が必要かと思います。昇る太陽なので(朝ぼらけ)の雰囲気もわかりますが、ここは秀子さんが、見たままの景。たとえば、葱畑を、鉄塔を、ビルのすきまを、あるいは地名~あたりをーー。完全ではありませんが、かなりオリジナルにはなるとおもいます。
mohyo
一首目 久しぶりに実家に帰ったら弟の嫁様がいて当然私が坐っていた場所に坐ろうとして「どうぞどうぞ」といわれたときに私の場所がなくなったと感じたことを思い出しました。その後介護が始まるまで私は実家に泊まった記憶が有りません。
秀子
ひゃらさんのご意見を参考にもう一度考えてみます。ありがとうございます。
”女三界に家なし”という言葉を実感する時があります。子供の頃母に連れられてよく行った母の実家も、世代が変わり丁重な挨拶を受けると言い知れぬ淋しさを感じます。当然のことと解ってはいても・・・。
夏の旅 投稿者 noriさん
牛遊ぶ朝霧高原緑なり雲の上から富士は覗きぬ
白樺の湖畔のベンチ妻と掛け涼し風抜け言葉少なに
涼風と陽射しが調和する中で山々眺め夢心地なる
秀子
一首目、雄大な高原の景色は煩雑な日常を忘れ、緑の風が匂ってくるようです。
二首目は、小説の中の1シーンみたいで、素敵。こんな時は言葉はない方がロマンティックですね。ウラヤマシイ!三首目も情景がよくわかります。
ひゃら
私も1首目がいいと思いました。(牛遊ぶ朝霧高原)でふわーと心が弾み次に(緑なり)と三句ぎれで律も締まっています。目の前には、あの富士山が雲のうえからのぞいている。ほんとにスケールのおおきな気持ちのよい歌です。もう少しこまかくいいますと、上句、じつは俳句になっているのです。こういう場合、下句が非常に難しいのですが、noriさんは上句を上まわるスケールでしかも、のびやかに短歌にしています。ほんとにスゴイなーとおもいました。
noriさん
ひゃらさん、評を有難うございます。
上句の切れ句で強調し、下句でも欲張りすぎかな、とも考えましたが、よかったです。
梅雨空 投稿者 オードリー・テル
頭を押せば「ニィアーン」と鳴くぬいぐるみ地下売店にしばし遊べる
仇討ちをするかの如く部屋ぬちの蝿追ひかける外は梅雨空
奥村晃作
「しばし遊べる」は「 遊びつつ待つ」とした方が歌としてしまる。2首ともに、思いがけない展開が、イメージを広げている。
1首目「 ぬいぐるみ」のあと 「 地下売店に」と予想できない言葉を持って来ての飛躍。 2首目は 4句切れにして、結句「外は梅雨空」と飛躍表現を行い、イメージを豊かにしている。
痩せ薬 投稿者 博夫
「御芝堂減肥膠嚢(おんしだうげんぴかうなう)」毒ぐすりいや痩せぐすり「減」の字がある
毒ぐすりなれど「欲しい」と叫びさう「魅力女人純天然減肥膠嚢」
奥村晃作
1首目 「御芝堂 減肥膠嚢(おんしだう げんぴかうなう)」と長い薬の名前を初2句に据え、初句5音、2句7音とぴたりと収めている。一首は定型作品である。
2首目 「魅力女人純天然」が第4句。5句が「減肥膠嚢」で7音ピタリ。
第4句は大変な字余りであるが、あまり気にならない。第4句はキャパシティが大きく、12音でも飲み込んで収めてしまい、破調とはならない。1首 2首ともに難しい名前を短歌形式に上手く収めて作品にしている。
くすりの名前に触発されての作品。 中国から輸入されたものでもあるところから時事詠ともいえる。
脚の違和感 投稿者 夏川
吾が歩み止めることなく信号が青になりたり今日もうまく行く
このままの生活(くらし)つづくとは限らない起きぬけに会う脚の違和感
奥村晃作
一首目 信号が → 信号は の方が良い。小さな気づきの感動をしっかり受け止めて歌い、言葉にリアリティがある。 五七調の音楽性(初二句5・7、続いて三・四句5・7のリフレイン)も優れたレトリック。
二首目 老いとか衰えは誰もが感じる経験である。脚の違和感という身体からの信号 を受け止めての感懐を歌い上げた。
二首共に現代的な、個性的な歌である。
夏川
生活(くらし)とルビを打ったが暮らしという字を使いたくなかった。あまりルビを振らない方が良いのなら「くらし続くとは」にしたい。
秋桜 投稿者 ふーみん
コスモスや男の友の手を握る
JUN
上出来
作者は85歳。リハビリのために始めた俳句の第一作。「男の友が」では平凡。「男の友の」とした所が手柄で俳句になった。コスモスとの取合せも意外性があり新鮮。三橋鷹女並みの情念を感じさせる一句。
noriさん
詠み人は85歳。ビックリです。
コメントを見なかったら15,6のお嬢さんの句かと思います。
これからもリハビリ、俳句頑張って下さい。
秀子
ほんとにびっくりですね!
俳句は簡潔でいさぎよくていいですね。
また見せてください。
どうぞお体お大切になさってください。
俳句で御免2001-8 投稿者 JUN
青空を蒼ならしめて雲の峰
校庭にゴム毬ひとつ夏休
秋立てば息つく歳となりにけり
人生は長しひぐらし忙しなし
郵便を縁にて受くる残暑かな
あとがき
椋鳥のヒナが駐車してある自転車の車輪に挟まっていた。
親鳥が威嚇する中、ヒナを助け出して「迷惑な鳥でもヒナはヒナ。」そう呟いた息子の心、そのまま育て。
(ゆ)