ふーしゃんの短歌ワールド
┏☆★☆━━━━━━━━━━━━19号 2002年7月6日 by もひょ ┓
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★☆★☆★ ふーしゃんの短歌ワールド ★☆★☆★
われわれは作品によってみずからの生を証明したいと思う。□ 宮 柊二 □
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次号は7月中旬予定
ふーしゃん(母)は短歌結社『多磨』の北原白秋に師事。『コスモス短歌会』 故 宮 柊二先生に師事現在にいたる。台北第一高女を経て台北師範卒。小学校教員を数年経験後,軍医であった父との結婚により退職。日本基督教団東京府中教会員。
無題 投稿者 ふーしゃん
戦争の被害者意識をもう捨てて加害者意識を持てと言はるる
夫無しのわれにひとりの息子ゐてわが急病に箱根路を来ぬ
嫁たちの悪口を言ひ氷菓舐め老婆三人ベンチをたちぬ
梅雨のころ 投稿者 hyara
愛媛県長浜町にきみおらずきみの父君ひとり暮らせり
ロン君が嵐のような咳をして犬の死病が隣家まで来つ
赤塚夫人の泣く声聞こゆ逝きしもの犬なればはや土を掘る音
処分されしロッキーかなし滞納の土建屋せめる議員をかみぬ
死ぬために生きると誰かつぶやけば夕日の舌にまきとられたり
一分の停車駅に鳩のいて羽うちあいて重なるをみつ
mohyo
5首目 私もちゃんと死ぬために生きていると思っています。
祖母の琉歌 投稿者 mohyo
ものがなし早苗吹き抜け来る風は琉歌をのせて心に響く
子守り歌祖母の琉歌の旋律に何故か泣き泣き祖母の背に眠る
秀子
沖縄地方の曲がもの悲しいのはドレミのレとラが旋律にないからだと聞いた記憶があります。
それにしても琉歌は日本人の心に響きますね。
紫陽花と子猫 投稿者 まつなお
「隅田川の花火」とふ名のあじさひを初めて知りぬ白き花笠
人厭ふわが性格を知りつつも人に関はる職を選びつ
仏壇の花を取り替へ水替えて遺影を眺むる「他人」の顔を
揉み合ひて走り抜け来てシュート決まるその瞬間のよろこび映す
良きゲーム点にならねどその動き一つ一つが的確に見ゆ
子猫二匹マシュマロのようにやわらかなからだ動きて我を見上げぬ
親猫の留守の間は戸の内に鳴き声出さぬ子猫賢し
秀子
”仏壇の花”結婚した女性は殆どの人が経験するのではないでしょうか?何とも言いようの無いこの気持ち、それぞれに思いはみんな違うでしょうが、さらりと詠いながらすごい歌だなと思いました。
花は知るらむ 投稿者 秀子
柿の実はまだいとけなき形して若葉の下にうつむきている
額アジサイを初めて教えてくれし友違えて久し花は知るらむ
暑き陽の漸く傾き蔭の差すブロック塀に猫の現る
スーパーのレジに働く若者の額に汗せり冷房の中
mohyo
2.3首目に注目しました。好きな歌です。
山陰の旅 投稿者 noriさん
堀川を舟は静かに進み行き見上ぐる天守は更に聳える
青鷺はじっと水辺に佇みて青銅像と区別しがたき
ビルは建ち車は走る城下町時代の移りを天守は見守る
せせらぎと河鹿(カジカガエル)の声は心地良く夢の縁へと誘い込み呉る
大山の形の移り楽しみて車少なき米子道行く
mohyo
2首目 青銅像と間違えるほどバランスよく静止できるのは難しい。年を取ると特にそうです。また生活の乱れている若者は「きおつけ」もできない人がいます。青鷺の美しさまたそのバランスが空を飛べるのだと思います。
ビール券 投稿者 オードリー・テル
新聞の営業マンの去りし後ベトベト纏はる香料の匂ひ
ビール券2枚受け取り契約す意志もろければ欲が顔だす
noriさん
思わず苦笑してしまいました。
誰しも経験のある事ではないでしょうか。
mohyo
2首目 はじめは
「ビール券についほだされて契約す意志もろければ欲が顔出す」
でした。初句 ビール券で5音になりますから 助詞 「に」をいれて5・1にするのは良くないと考えられました。(よくそういわれています。)これが 「春の夕べ」 のように3・3にわかれていて「に」をつけてもおかしくないと良く言われています。
そこで
2枚もらって
2枚受け取り
を考えられました。
もらうより受け取りの方が主体的かなと思い「2枚受け取りにされています。
投稿二首 投稿者 谷口 和夫
商談に登る階段磨かれて吾が本音写されている
垂直に雷雨激しく降り出せり澱む不況も流して欲しい
mohyo
中高年の自殺者3万人を超えたそうです。今公務員だって家のローンが組めません。税金は金持ち優遇ですがびっちり取ったら海外で暮らすでしょうね。高級取りのスポーツ選手のように。ある人は、女性より男性の方が給料が多いというのは家族を養うという前提があったから今は老若男女同じ給料で税金も同じに取れば言いと考えています。
ある人は結果平等論なら働かなくなるよ。共産主義で成功しているモデル国家が無い様に。18年くらい前の新設高校の生徒が言った言葉を思い出しています。「僕は中三の十二月から優等生をやめて世間や親に反抗してな内申書を下げてここに来ることになりました。進学校に行けなかったから人生の選択の幅が狭まりました。今望んでいるのは再び戦国時代がくればよいです。僕にもチャンスがあるかもしれない。」今40代の彼はどうして生きているだろうか。あのへそ曲がりで優しさだけはひつように求めている奴だったけど。
俳句で御免2002-6 投稿者 JUN
母の日や拘禁ベッドの母の痣(あざ)
耳朶(みみたぶ)の風切る音や青嵐
紅薔薇の溢れて越ゆる築地(ついじ)かな
薔薇垣の巡る館に明治の気
父の日や子の気紛れに祝はれし
mohyo
5首目 同僚も連れ合いも子どもは、母親の方に懐いていると思っています。仕事第一として生きてきた年代なんですね。今は違いますね。
子どもの為に、仕事を休む人がいて当然になって来ています。その方がいいと思います。
あとがき
七夕の夜に空を見上げなくなって何年たつだろうか。
子どもたちは無邪気に笹に飾りを付けている、短冊には
「宇宙飛行士になりたい。」夜空はすでに子どもたちのもの。
(ゆ)