11号 2001/02/10

ふーしゃんの短歌ワールド

☆☆☆☆ 11号 2001年2月10日 by mohyo          ☆☆☆☆☆☆
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☆ ふーしゃんの短歌ワールド                      ☆
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☆ われわれは作品によってみずからの生を証明したいと思う。 □ 宮 柊二 □ ☆
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☆☆☆☆★☆☆☆☆ ー次号は2月下旬発行予定ー          ☆☆☆☆

◆ 結局人を救えるのは表現する行為だと思う。……… mohyo

ふーしゃん(母)は短歌結社『多磨』の北原白秋に師事。『コスモス短歌会』故 宮 柊二先生に師事現在にいたる。台北第一高女を経て台北師範卒。小学校教員を数年経験後,軍医であった父との結婚により退職。日本基督教団東京府中教会員。

◆ふーしゃんのうた -水色- (s.23年~33年)

水色の矢車草を見つむれど怒りしづまらぬ醜き一日(ひとひ)
出て行けと言ひて了(しま)ひぬわが少女はすたすたと行く放射能雨のなか
終戦後のわれの命は付録よと言いつつ長く寝そべる夫(つま)か
新しき預金通帳つくる間を銀行の大理石に掌(て)を冷やしいつ
迷い入りしへくそかづらの蔓先(つるさき)を幾度か窓の外に出しやる
明日の予定一つ一つ言えば軍司令官の如きもの言いいひをすなと応ふる
純粋に吾は信じたし臨終(いまは)には全能もて光りもて臨まるるといふ
省みて寂しきことの多ければ嬉しき時はよろこびよろこべ

■ひゃらのうた ー炎の藻群よりー

鴨ふとる柳瀬川(やながせのかわ)の鴨照らし我を照らせる金輪の水
ただならぬ告白のごとばしばしと大枯れ葉落つまっさかさまに
立ちながら枯れたる椎の大樹あり水精乙女(みずはおとめ)が恋しくないか
足一歩踏み出し庭の小菊ふむ匂やかにして菊の冬なり
新年のひかり集める秋津辺の巨大キャベツに鴨一羽おり
教会へトンネルふたつ抜けてゆく武蔵野線はタールの匂いす
忘れねば心ひそかに悦びぬ沖縄料理ヌンクーを煮る

★ まつなおのうた-馬の瞳-

歌が出きず苛立ちあれど抑えつつ病院へ行く子の冬着持ちて
宗教の本質は笑顔だろうぽつんと言えり一人息子が
冷酷で残酷な地上この地上をこよなく愛せしメシアのお話
神様が手綱を緩め給ふときなんと厳しく「自由」であること
底深く暗き宇宙に青く浮く地球にかかれり酸素のベール
博物館の茶房に座せばゆくりなく塵ほどの雪が庭に降り来る

●mohyo

省みて寂しきことの多ければ嬉しき時はよろこびよろこべ

何気ない歌である。しかし私にとってはズキンと来る歌である。具体的に何がどうしたと分からない幼い時から感じていたものがあればこれである。何代にも渡る原因がここに集約されていて弟も妹たちも口には出さずに支えたり反抗したり不安をねじふせて知らぬ振りしてきたことである。

嬉しき時にはよろこびよろこべのところは、悲しみの極みにたったら人はリズミカルに踊っていきる力とするんだと思う。祖母に連れられてはじめて生の蛇味線の音に触れた幼きおかっぱ頭の私はみんなが明るく輪になって踊りはじめているのに涙
をこらえるのに必死であった。喉が痛くなるほど必死で子どもらしくしていた。人前でなくのが厭であった。理由は今でも分からない。